大愚和尚が動画のなかで


夫婦関係が上手くいかない原因に

ついてこのようにお話ししていました


「殆どの人が結婚相手と結婚して

いるんじゃなくて自分のイメージした

結婚像と結婚している

(だから夫婦関係が上手くいかないんだ)

それなのに私たちらしい夫婦の

在り方、みたいなことを言う」


確かにですね…


和尚は

自分らしさ、自己肯定感、自信


こういったことは一生かかっても

見つけられないし身につかないと

おっしゃっていました


着眼点はそこではないと

おっしゃっていました


和尚の動画をたくさん見ていると

気づくことがたくさんあります


これからの時代は

私らしさの追求をするのではなく


「私はこんな人です!」と

皆んなが堂々と言える世の中に

なることが健全な社会なんじゃ

ないかな?と思うのです


私は人と話すのが苦手な人です

私はじっとしてるのが苦手な人です

私は走るのが好きな人です

私は絵を描くのが好きな人です

私は集団行動が苦手な人です


こんなふうに皆んなが自分について

堂々と言える世の中

そして言ったところで非難されない

世の中


こちらを目指す方が健全ですよね😊🙆‍♀️


一生かけても見つからない

自分らしさを探すよりも


「私はこんな人です!」と言える

世の中になっていくと良いなと思います


マジョリティ、マイノリティなど

わけることにも私は全く意味がないと

思っていて


卵子提供して親になった人が

わざわざ自分たち家族のことを

「私は多様な家族です」なんて

言わなくて済むような社会


そこを目指すことはとても大切だと

感じます


だから周りの人も「多様な家族」などと

言ってラベリングしないで欲しいなと

思います


こうやってラベリングすることで

マジョリティの人たちが

「マイノリティな人を理解しなくちゃ」

と思ってそこが差別や偏見の入り口に

繋がっていくと感じています


そうではなくて

皆んな他人がどんな人であれ

理解することは大事なんだと思うのです


○○な人だから理解する

理解する相手を「限定」することには

私は全く意味が無いと思っています


相手がどんな人であろうとも

皆んな誰かを理解して受け入れて

いかないと「皆んな生きていけない」

それが世の中なんだと私は思います

(間違ったことをしている人をも

受け入れろ、と言うのは別です

間違ったことをしている人がいたら

優しく「間違ってますよ」と言えば

よいと思います)


だから私は自分の家族について

多様な家族、新しい形の家族などと

自分で自分のことをラベリングしたく

ないなと思っていて


子供たちのこともラベリングしたく

ないと思っています


どんな形で家族になっても

堂々と「私はこうです!」と言える

世の中になると良いなと思います