私はシングルマザーの家庭で育った次女。

姉と弟と3人姉弟。

 

姉は高校卒業後、専門学校へ。

私は国立大学、弟は私立の大学へ進学した。

 

奨学金は確かに借りたけど

オカンは一人で、3人の学費も全部払ってくれた。

 

父親はうつ病だから働けなくて

オカンは一人で、私が3歳の時に建てた注文住宅の

住宅ローンを完済した。

 

 

 

 

すごいどころの話ではない。

 

私のオカンはたくましい。

ほんまに、たくましい。

 

 

私が小学校2年生のとき、うつ病の父親のDVから逃げるために

母方の祖父母を先に親戚の家へ避難させ、

 

母、姉、私、弟も夜逃げするような形で

リュック1個に詰めれる分だけの荷物を詰めて、父から逃げた。

 

 

そして、しばらく親戚の家で暮らし

その後、大工さんだったひいおじいちゃんが建てたという

めっちゃ古い土間のある家に落ち着いた。

 

 

それから、オカンは毎日朝4時に起き、朝6時まで仕事をし、

6時~7時の間に私たちのお弁当の準備、朝食、洗濯物を済ませ

7時過ぎには家を出て仕事。

夜は20時頃に帰宅し、それから夕食の準備。

 

そんな生活を、子どもたち3人が高校卒業するまでずっと続けた母。

 

凄い以外の言葉が出てこない。

 

 

 

 

そんな母の姿を見て、私は

「どうしたら、お金がかからないか。お母さんの負担にならないか。」

何よりも「お金」を選択の軸にしてきた。

 

 

 

お金がかからないように

高校は県立高校

大学は国立大学

 

本当は、吹奏楽が強い私立の高校に行きたかった

本当は、大好きな音楽を腹いっぱい満喫できる音大に行きたかった

 

 

「お金ないお金ない」が口癖の家が嫌でたまらなかった。

 

 

そんな思いを持ちながら、社会人になり

改めて、一人で3人を育てた母親の偉大さを実感すると同時に

自分も何があっても大丈夫なように、経済力を身に付けたいと強く思うようになった。

 

 

 

また、こんなに苦しい想いをしてきた母に

「頑張って生きてきてよかった!次女を生んでよかった!」

って腹の底から思ってもらえる体験をプレゼントしたいって、強く思うようになった。

 

 

そこからだ。23歳の夏。

ネットワークビジネスに全振りした。

 

人生かけた。

 

死ぬ思いして人に会った。

お金も使った。アポイントに行き、努力した。

 

でも何故かお金は出ていくばっかり。

 

 

生活できなくて、キャバクラでも働いた。

お酒飲んで、夜中2時ごろ、自転車で毎日泣きながら帰って、

次の日はまた朝からコールセンターで働く。

18時の定時で仕事を終えて、アポイントに行き、21時からまたキャバクラ。

 

 

全然上手くいかなかった。

 

 

でも諦めきれなかった。

これまで、私はお母さんに我慢ばっかりさせてきた。

お母さんは、我慢して、私たちをここまで育ててくれた。

 

我慢させた分、絶対良い想いをしてもらわないといけない。

 

そう、心から思っていた。

だから、どれだけしんどくても、寝てなくて、生活に必死で、死にたくなっても

ネットワークビジネスを辞めることが出来なかった。

 

 

 

 

 

約3年、頑張った。

けど、力尽きた。

 

 

 

そして、自分の生き方に、あり方に苦しんだ。

26歳くらいの話。このくらいの時から心理学を学びだした。

 

だけど、このままじゃ嫌で、悔しくて、また違うビジネスを始めた。

消費者金融で借金した。

まずはFXで100万円。

 

上手くいかず別のビジネス。

情報発信の商材。200万。

 

毎月12万円支払いしていた。

借金苦。

お金の借り方もバカで、消費者金融2社、クレジットカード6枚無いとお金借りれず。

 

一人暮らししながら、家賃払いながら、月々12万円は本当にしんどかった。

 

 

 

 

なんとか、コールセンターと韓国人のママがいるラウンジ、カフェのモーニングで働いて返済する日々。

働きながら、自分の心を大切にする時間を可能な限り確保した。

ノートとたくさん向き合った。1年間で10冊はノート書いた。

 

考えに考えた。

 

どうして、こんなに生きづらいんだ?

どうして、こんなにお金ないんだ?

何を達成したくて、何を守りたかったんだ?

 

いっぱい自分に聞いた。

 

 

いつもいつもいつもいつも

私のノートに登場するのはお母さん。

 

 

お母さんと向き合った。

母親本人に思いのたけをぶつけたことも何度ある。

だけど、伝わった気がしない。

 

 

私の目の前の現実は何一つ変わらない。

 

 

 

だけど、ある日、お母さんに電話したとき。

なんとなく、元気だよっていう電話をしたときに、

ふときいてみた。

 

「お母さんは、ぶっちゃけ子供3人を産んで、これまでの人生どうだった?」

 

そしたらさ、

 

「え!めっちゃ楽しかったばい」(即答)

 

 

 

ん???

いっぱい我慢してたんじゃないの?

苦しかったんじゃないの?

しんどかったんじゃないの?

え???楽しかったってどういうこと??????

 

 

って思った。

 

 

そう、私はお母さんの事勝手に「不幸なひと」って決めつけてたんだ。

「我慢しかしてなくて、お金が無くて、大変なひと」って私が勝手に思い込んでいたんだって。

 

 

 

あ、お母さんは楽しかったのかって。

私たち3人産んで育てて、楽しかったのかって。

 

 

 

 

 

なんか、びっくりした。

拍子抜けした。

笑えて来た。

 

 

 

 

なんだよ、勝手に楽しんで生きてるじゃねーか、うちのオカンは。って。

だったらさ、私は私のために生きていいじゃん!って。

 

その時に初めて心の底からそう思えたわけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そう思ったのが4年前。28歳になる歳だ。

そこから人生ガラっと変わった。

お金回りも、人間関係も。

 

お金はどんどん入ってきた。年収も200万円くらい上がった。

臨時収入もびっくりするくらい入ってきた。

 

今では副業で月10万円くらいは稼いでいて、本業以外の収入がある事にも安心感がある。

 

 

人間関係も嫌な人が居なくなった。

現れても、すぐに近くからいなくなる。

素敵な人生のパートナーとも出会えた。

 

 

 

不思議でたまらない。

 

 

 

オカンからの解放。

この効果はまじですごい。

 

 

 

 

 

長くなりましたが、今日はここまで。

おやすみなさいまし。

 

 

 

 

愛情の受け取り方

愛情の渡し方

 

 

 

これは、小さい時に

お母さんから学ぶ。

 

 

 

 

本当は、お母さんから

教えてもらって練習する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤ちゃんは、一生懸命

泣いて自己主張する

 

 

 

お腹すいた

うんちした

眠たいよ

痛いよ

痒いよ

これがしたい

あれが欲しい

 

 

 

そこに、お母さんが飛んでくる。

 

 

 

自己主張をすれば

お母さんが助けてくれる

 

 

 

お母さんが助けてくれる

そんなこの世界は、

優しくてあったかい世界なんだなぁ

 

って心から安心する

 

世界は優しいっていう

前提を持って大人になっていく

 

 

 

 

 

 

ある程度してくると

 

 

子どもも、お母さんに

笑ってほしい

 

 

と思っているような

行動が見られるようになる。

 

 

 

僕が笑うと

お母さんが笑う。

だから、僕は笑う。

 

 

 

ママがご飯を食べていると

僕は「おいしー?」って聞く。

 

「美味しいよ~^^」って

ニコニコしながら答えると

 

僕も嬉しくて笑う。

 

 

 

 

 

 

 

人間はそもそも

愛の生き物なんだよね

 

 

愛したいし

愛されたい。

 

 

笑顔になりたいし

笑顔にしたい。

 

 

 

 

この欲求を満たすためには

練習が必要なんだ。

小さい時に。

 

 

お母さんが

愛してくれている

愛をたくさんくれる

 

お母さんは

愛を受け取ってくれる

自分が居ると、笑顔になってくれる

 

 

そう子どもが感じる必要がある

 

 

 

だから

 

 

 

お母さんが

笑っていること

 

 

 

それが、

最強の「愛のキャッチボール練習」だ

 

 

 

 

だけどさ、

最近「毒親」なんて言葉が

流行っているのは

 

 

 

お母さんが

そもそもキャッチボール

ど下手くそだからだ。

 

 

不機嫌

感情のコントロールできない

全て周りのせい

誰も私の事愛してくれない

お母さんなんて大っ嫌い

 

 

 

 

っていう

お母さんがたくさん居るからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

親子問題は連鎖する。

 

 

 

 

 

 

 

だから、まず解決すべきは

「母親と私」の問題

 

人生が上手くいかない

理由は100%

母親問題

 

 

 

 

 

今、あなたが見ている世界が

厳しく辛い世界なら

 

逃げないで

 

向き合って乗り越えよう

 

 

 

 

 

親子連鎖を止めるのは

あなたです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

覚悟をするということ。

 

 

決めるということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼をパートナーとして選び、

一緒にいると決めること。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、起こりうる出来事

全て抱きしめると決めること。

 

 

予測できることも

予測できないことも

 

 

全て抱きしめてみせると覚悟を決めることだ。

 

 

 

彼の選ぶすべての選択肢ごと

受け入れて、抱きしめることが出来るか。

 

彼女の選ぶすべての選択肢ごと

受け入れて、抱きしめることが出来るか。

 

 

 

 

決めるって、そういうことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現実に起きたこと

 

 

 

良いことも悪いことも

全部

抱きしめて受け止めることを決める。

 

 

 

これが、決めるってこと。

 

 

 

 

 

 

例えば、経営者の彼をパートナーに選ぶとしたら

 

仮に、彼が仕事に失敗し

一文無しになって、経済的に苦しくなろうが

 

抱きしめる覚悟はありますか。

 

 

 

 

例えば、今、お付き合いしている

その彼をパートナーに選ぶとしたら

 

笑顔でハッピーな彼も

落ち込んで、愚痴っぽくなっている彼も

 

どちらも抱きしめる覚悟はありますか。

 

 

 

 

例えば、浮気されたけど

やり直す!って決めるときも

 

疑ってしまう自分を

抱きしめる覚悟はありますか。

 

彼の行動全てを、

再度抱きしめる覚悟はありますか。

 

 

 

 

 

その覚悟の根拠は

「執着」では無い、と言い切れますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事だって同じ。

ペットをお迎えするかどうかも同じ。

旅行先を選ぶときだって同じ

 

 

全部同じ。

 

 

「決める」ということは

 

 

予測できること

予測できないこと

 

 

自分自身では

コントロール出来ないことを含む

全ての事を抱きしめてやるぞ!

 

 

って腹決めすること。

 

 

 

 

 

 

 

そう、

 

 

 

 

腹決めをした覚悟は

ほんまに強いから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうもお久しぶりです。

明けましておめでとうございます。

さちこでございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年初の雪が降る中、今年初のブログ書いてますよん

 

2024年もゆるく楽しく

ブログ書きます。

 

今年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

年末年始の独身アラサー女あるある

 

 

「結婚は?」

「子供は?」

 

 

 

これさ、結構邪魔くさいよね笑

 

 

 

 

ふと、思いましたの。

これも「正論」を言われていると。

 

正しいのよ

 

確かに。

 

 

 

 

女性の立場としては

 

出産ってやっぱり命懸けだし

体力がある若いうちに

子供産みたいなら生んだ方が

 

もちろん良いに決まってる

 

 

妊娠だって

若いうちの方が

出来る確率だって高い

 

 

女性に生まれて

毎月毎月レディースウィークで

腹が痛い想いをしてさ

 

 

子供産みたいって思うのは

本能的な願望だと思うんです

 

 

 

 

 

 

だけどさ

 

 

 

このご時世

 

物価も上がったり

収入面の不安があったり

自分自身の精神的な不安定さとか

 

20代の若い時って

 

中々自分以外の命に対して

責任を持つって

 

踏み込めない女性も多いのですよ

 

日本の未来に対して

ネガティブな情報もたくさん入ってくる中

 

葛藤もあるわけね

 

 

 

 

結婚・出産は若い方がいい

 

 

 

 

これは

間違いなく

 

子供の未来を考えたとき

 

もっと自分を磨いた方がいい

精神的にも経済的にも

安定してからの方がいい

 

今は努力の時

 

って考えている女性に対する

「正論」

であって。

 

 

 

正しいとわかっていることは

問題が無ければ

人は自分が正しいとおもうことを

 

ちゃんと、選択するんよね

 

 

 

 

そもそも!

 

 

あなたのこと心配して

結婚や子供のこと言ってるの!

 

 

って言う感情の人ってさ

 

 

「心配をする」

ということで

上の立場に立ちたいというか。

 

 

「心配をする立場」で

マウント取りたいだけ

コントロールしたいだけ

というか。

 

 

「あなたのためを思って」

という優しいフリをした

上に立ちたいだけのこと多いからね

 

 

 

 

 

 

正しいと思うこと

が明確であっても

 

それが行動できていない

 

違う行動をしている場合

その「正しいこと」を出来ない理由がある

 

 

 

 

 

その「出来ない理由」を

無視して

「正論」を相手にぶつけると

 

 

 

 

 

ぶつけられた相手は

傷つくよ

 

 

 

 

だって

本当は、自分が

「正しいと思うこと」

 

を選択したい気持ちで

いっぱいなんだもの

 

 

 

 

「正しいと思うこと」

を選択できない自分を責めて

罪悪感を感じてるから

 

 

 

他人から言われると

 

 

 

全世界全人類から

正しい選択を出来ない自分を

責められてる

 

 

 

って感じてしまうのよね

 

 

 

 

 

 

既に自分自身で

自分を責めているところに

 

他人からも

否定された気持ちになってしまう

 

 

 

 

 

 

これが

 

 

「正論」は時に

人を傷つける理由

 

 

です

 

 

 

 

 

 

どうして

 

自分が正しい

そうしたいと思うこと

 

が出来ないのか

 

 

 

その理由と向き合って

 

 

 

「自分で決めて」

選択していけば良いのです

 

 

 

 

他人にどうこうではなくて

 

 

 

 

自分がどうしたいか

 

結婚や出産も含めて

やりたいことを

気持ちよくやるには

 

どうしたら良いか

 

 

 

 

自分の心とお話するだけですよ

 

 

 

 

 

さちこ。

 

 

 

 

これはもう、

 

世界は本来、優しいんだよ

 

っていうことを表しているよね

 

 

 

 

 

飛行機から見た空

 

 

雲の上はいつも青空

 

 

雲を作っているのは

いつも自分だ

 

雨を降らせているのも

いつも自分だ

 

 

 

 

 

そもそも

 

この世界はいつも晴れていて

暖かくて

太陽が見守ってくれていて

 

優しい世界なのだ

 

 

 

 

だけど

 

 

 

あなたの魂にとって

必要なタイミングで

 

 

 

あなたは自分で空に雲をかけ、

雨を降らす

 

 

その雨は

あなたに気づきと学びを与えます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大丈夫。

 

 

 

 

あなたの魂が

学びたいことを学び終わった時

 

 

 

 

その雨は止みます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大丈夫。

 

 

 

 

 

 

この世界はそもそも

快晴で優しい世界なんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちゃんと

「自分の意志で」

物事を選んでますか?

 

 

 

 

 

 

 

「選ぶ」ってさ

実はめっちゃ大変でさ

エネルギー使うねん

 

 

だから

色々な自己啓発本なんかに

 

 

不必要な部分に

エネルギーを消費したくないから

服や食べ物は一律決めておく

 

そして

エネルギーを使いたい

仕事やプライベートに

 

「決断」のエネルギーを回す

 

 

なんてことが書いてあったりする。

 

 

 

 

 

 

「決める」って

エネルギーを消費することだからさ

 

人に任せた方が

楽ちんなんだよね

 

 

 

 

 

仕事を選ぶにしても

 

 

 

 

何の仕事しようかな

自分には何が向いているんだろう

 

って自分に問うて

自分で選ぶよりも

 

 

 

 

親や先生や占い師から

 

 

 

あなたはコレに向いてる

この仕事をしていた方が安定だ

資格を持っておいた方が安定だ

 

 

 

とか

 

 

 

決めてもらった方が楽なんだ

 

 

 

 

食事を作るにしても

 

まっさらなところから

メニューを考えるのは大変だし

 

 

 

 

遊びに行くにしても

 

どんな交通手段を使って

どこに行って

どんな遊びをするか

 

企画して決めるのはエネルギーが要る

 

 

 

 

 

 

人間は楽したい生き物だから

 

 

「自分と向き合う」

 

 

なんて大変だからさ

誰かに決めてもらって

 

 

楽な方を選びがちなんだよね

 

 

 

 

 

 

仕事も

時間の使い方も

収入も支出も

 

恋愛も結婚も

 

人付き合いも

 

 

 

 

誰かに決めてもらって

楽する人生も

 

 

 

 

それはそれで

別に悪いことじゃない

 

 

 

 

 

だって楽なんだもん

 

 

 

 

 

問題は

 

 

 

 

あなたが

 

自分で納得しているか

 

どうかだ

 

 

 

 

 

誰かに敷かれたレールの上を

歩くのが嫌なら

 

覚悟を決めるんだよ

 

 

エネルギーが必要だし

誰にも責任を押し付けることはできないけど

 

 

自分で選択して生きるんだ

 

 

ってことを決めるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分で決める

 

 

 

 

 

それは

 

 

 

 

内側にある

自分の声を聞くということ

 

 

 

 

私は何をしたい?

私は何をしているときが楽しい?

私はどう生きていきたい?

 

 

 

 

これは

あなたの内側にしかないし

 

 

 

親や世間やインターネット上などの

外側に答えはないのね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外側に答えを求めんな。

全部内側にあるんだからね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目に見えるモノ

 

 

食べ物や飲み物

服や靴

コスメやアクセサリー

 

あとはお金も。

 

 

目に見えるこの世の

「物質」

については

 

 

持っていないと

人に渡すことが出来ないよね

 

 

 

 

 

 

だけれども

不思議なことに

 

 

「目に見えないもの」は

逆なんだ

 

 

与えることで

手に入るんだ

 

 

 

 

愛情

友情

優しさ

思いやり

 

 

 

そんなプラスな感情も

 

 

 

悲しみ

憎しみ

怒り

恨み

嫉妬

 

 

 

そんなマイナスな感情も

 

 

 

人にあげると

自分も受け取ることになる

 

 

 

 

 

 

 

 

なんでかって言うと

 

 

人間は

愛し、愛されたい

という本能を持っているからだ

 

 

 

 

 

誰かに

愛や優しさを与えると

 

 

自分の「愛したい」という

本能も満たすし

 

相手の「愛されたい」という

本能も満たすわけね

 

 

 

 

 

すっげーWinWin。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

美味しいものを食べたとき

良質な睡眠を取ったとき

大切な人と体を重ねたとき

 

 

 

幸せを感じるのと同じように

 

 

 

「愛を渡す」

って渡した側も幸せを感じ、

受け取った側も、もちろん幸せを感じるわけね

 

 

 

 

そしてまた、返報性の法則で

相手から受けた好意などに対し

「お返し」をしたいと感じるのが人間ですから

 

 

 

 

次はあなたが受け取る側になるのね

 

 

 

これが

愛の連鎖だラブ愛

 

 

 

 

 

注意が必要なのは

 

憎しみとか怒りとか

恨みとか妬みとか

 

そんなネガティブな感情も

 

 

 

 

人に与えると

自分に返ってくるんです

 

 

 

 

 

 

どういう仕組み

かというと

 

 

 

 

 

 

まず、憎しみや怒りを与えた側

 

与えた側も実は

自分を責めてるの。

 

怒ってる自分

憎んでる自分

怨んでる自分

 

 

 

本当は

 

怒りたくない

憎みたくない

怨みたくない

 

 

本当は

愛したいのに

 

 

 

こんなに悲しい気持ちにさせた

あんたが悪いのよ!

 

 

 

って思いながら

 

 

 

その人を愛すことが出来ない

許すことが出来ない

 

自分を責めてる

 

責めて責めて責めて

罪悪感を感じて落ち込むのね

 

 

 

 

そして

このネガティブな感情や念はさ

 

 

簡単にその相手のもとに飛ぶのよ笑

 

 

びっくりするくらい

簡単に飛ぶ

 

 

 

 

相手もあなたが飛ばしている

その感情を察知して

 

 

愛し愛される関係から

遠いなと判断されたら

 

 

拒絶拒否されて

距離を置かれることになるでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

だからね

 

 

 

私のことを愛しなさいよ!!

って不機嫌になるの止めたら?

 

 

ご機嫌を取ってもらうことで

愛を感じることを止めたら?

 

 

怒ったり、泣いたり

不機嫌になったり

 

 

これは完全に

愛の受取り拒否やで。

 

 

 

あんた、俺の愛いらんのやな?

 

 

俺、愛を与えたいし

ちゃんと受け取って欲しいから

 

 

受け取ってくれる人のとこに

行くな。ばいばい。

 

 

ってされるのは

人間の本能として当然のことやで。

 

 

 

 

 

自分のこと責めて

罪悪感を感じて

 

更に

 

大好きな人が

離れて行かないように

 

 

 

 

愛を与えて、愛を受け取る

 

 

 

 

悲しいこと

嫌だったこと

 

そんなマイナスな感情は

言葉で相手に伝えるの。

 

我慢しないの。

 

 

 

「~されて、悲しかったな」

「ちょっとショックだったな」

「嫌だったな」

 

 

 

ってあなたの怒りの下に隠れてる

本当の気持ちを

 

 

態度じゃなくて

言葉で伝えるんだよ

 

 

 

 

 

 

そして、我慢なんかせずに

 

笑顔

 

でいること!

 

 

 

それだけや!

愛の連鎖の中で生きよう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お母さんのこと

みんなはどう思ってる?

 

 

 

 

いつも怒ってた

いつもイライラしてた

いつも文句言ってた

いつもお金ないって言ってた

いつも泣いてた

いつもしんどそうだった

いつも我慢してた

しつも辛そうだった

いつも寝ずに働いていた

いつも気を使っていた

いつも謝っていた

いつも誰かのご機嫌取りをしていた

いつも生きにくそうだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもの時に

見てきた母親の姿って

 

 

 

 

子どもたちが大人になった時

 

 

 

 

この世界をどう捉えるか

の「色眼鏡」になるんだ

 

 

 

お母さんから私たちは生まれた

私たちの世界を作ったのはお母さんだ

 

 

物事の決定権がない

まだまだこの世界を知らない

小さな私は

 

 

お母さんを通して

この世界を見て育ったのだ

 

 

 

 

当然

 

お母さんがこの世界をどう捉えているか

という母親の価値観に

 

私たちの価値観は大きく左右される

 

 

 

 

お母さんがいつも笑っていて

楽しそうで

笑顔で

チャレンジしていて

気分良く生きていた姿を見て育てば

 

 

 

この世界は

 

 

 

いつも笑っていける

楽しくて安全で

安心してチャレンジできて

 

 

私が

ご機嫌で居られる素敵な世界だ

 

 

 

っていう

「色眼鏡」をかけて

大人になる

 

 

 

 

逆に

 

 

 

お母さんが

 

いつも辛そうで

いつも我慢していて

いつも世間体を気にして

 

生き辛そうにしていたら

 

 

 

この世界は

生き辛い世界だ

 

 

っていう色眼鏡をかけて

大人になる

 

 

 

 

 

よく心理学でさ

 

母親と向き合うことで

人生が良くなる

 

って言われるんだけど

 

 

 

 

それは

小さい頃から

あなたの中で育ってきた「思い込み」

 

つまり

「色眼鏡」を外すため

 

 

 

に母親と向き合え

って言われてるんだよ

 

 

 

 

 

決して

「母親と分かり合うため」

に向き合うのではないんだ

 

 

 

 

 

今更大人になった娘や息子からさ

 

 

 

 

小さいとき

 

こう思ってたんだ

そう思ってたんだ

これが嫌だったんだ

どうしてそうだったの?

 

ってオカンに言ったとて

 

 

 

オカンはそれが精一杯の選択だったんだ

 

 

 

小さなあなたを守るために

オカンだって

母親として精一杯の行動の積み重ねで

 

 

 

今に至ってる

 

 

 

それを今更

あーだこーだ言われたって

 

 

それが私の精一杯だったんじゃーーーーー!!

これ以上あの時どうしろと!?

一生懸命育てたのにあなたは私を否定するの!?

 

 

っていう

 

 

怒るパターンか

 

 

 

 

そんな辛い思いさせてたんだね

ごめんね

 

 

 

っていう

謝るパターンか

 

 

 

大体2択になると思うんだけど

それはどっちでもよくって。

 

 

 

 

大切なのは

あなたが自分自身で

 

「どんな色眼鏡をかけてこの世界を見ているのか」

 

に気づくことだ

 

 

 

 

さちまるは

ずっとお母さんのこと

 

お金なくて

働きまくっててしんどそうで

いつも忙しそう

 

そんな風に思ってた

 

 

 

 

 

だから

さちまるもそんな人生を

これまで歩んできた

 

 

借金して

お金なくて

生活成り立たなくて

 

 

朝6時から働いて昼も夜も働いて

働きまくってしんどかった

 

 

 

無意識に

人生とは働きまくらないと

成り立たない

 

 

って思いこんでて。

 

 

 

成り立たないような現実にするために

300万円以上の借金して

 

自分のかけている色眼鏡の

正当性を証明してたんだ

 

 

 

 

 

私はお母さんにある日突然

質問してみた

 

 

 

お母さんが自分の人生をどう捉えていたのか

 

 

 

そしたら

 

あんたらを産んで

私はこれまでの人生楽しかったわ

 

ってサバサバに即答された

 

 

 

 

反省したの

 

 

 

あー、私勝手にお母さんを

不幸で可哀想は母親にして

私がお母さんに良い想いをさせてあげなきゃ

 

って勝手に力んでたの

 

 

 

それを自覚したとき

私は初めて

かけていた色眼鏡を外すことができた

 

 

 

 

お金がまわるようになった

生活を楽しめるようになった

素敵な彼が現れた

幸せだと感じる時間がとっても増えた

 

 

 

 

わたしは世界をフラットに見れるようになった

 

 

 

 

 

母親と向き合うって

 

大切なのは

母親と分かり合うことじゃない

 

 

 

自分が

どんな色眼鏡をかけているか

を自覚すること

 

 

 

そして

 

 

 

その色眼鏡はお母さんが外してくれるものではない

誰かが外してくれるものじゃないんだ

 

 

 

今、あなたがかけている色眼鏡は

 

 

 

あなたが

自分で外すんだ

 

 

 

それが出来たとき

あなたはもっともっと生きやすくなる

 

 

 

人生を楽しめるようになる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もっともっと

わたしらしく

自由に生きる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どれだけ頑張ったら

ゴールがあるんだろう

 

 

どれだけ努力したら

上手くいくんだろう

 

 

 

 

どうして

 

 

 

 

こんなに頑張っているのに

こんなに毎日一生懸命生きているのに

 

 

こんなにも

生き方を否定されるような言葉を

投げかけられなければならないんだろう

 

 

 

 

もう嫌だ

もう無理だ

もう頑張れない

 

 

 

 

もう、疲れちゃった...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな風に思うのは

 

 

本気だからだ

 

 

本気で生きてきたから

ムキになるんだ

 

 

 

 

 

人生に手を抜かず

一生懸命

頑張って生きてきたんだ

 

 

 

まずね、

そのこと自体が本当に偉いよ

 

 

 

 

よく頑張ってきたね

本当にすごいと思う。

 

 

 

 

 

誰よりも本気なんだもんね

「生きる」

っていうことに。

 

 

 

本気だから

 

 

 

誰かの批判するような

その一言に反応してしまうんだ

 

 

 

 

そして悔しいんだよね

 

 

 

今日、この日まで

一生懸命頑張ってきたのに

 

 

 

それなのに

中々、自分が思う自分になれてなくて

情けなくて悔しくて

 

 

 

年齢や周りと比べて

どうしてこんなに

上手にやれないんだろう

 

 

 

って落ち込んで。

 

 

 

ちょっと

心が疲れちゃったんだよね

 

 

 

 

 

 

 

大丈夫よ

そういう時もあって大丈夫

 

 

 

 

人生は筋トレと一緒だからね

 

 

 

 

鍛えるために

筋肉をいじめたら

筋肉痛になるよね

 

 

そして

休憩させてあげるでしょ?

 

 

 

 

心もね

上がって下がるを繰り返して

強くなるんだ

 

 

 

 

だから年を重ねると

若かった自分よりも

落ち着いた自分になれる

 

 

 

 

 

 

そしてね

 

 

 

 

あなたは人生まだ諦めてないじゃんね

 

 

 

 

まだまだ

なんとかしたい!

って

 

まだまだ

挑戦したい!

って

 

 

 

 

諦めたくない

頑張りたい

努力したい

 

 

 

 

って思ってるじゃんね

 

 

 

 

諦めてないあなたは

本当に偉い

 

とっても素敵

 

 

 

 

 

もう少ししたら

心から笑える日が

またやってくるから

 

 

 

安心して待っててね

今は、休憩だ

クールダウンだ

 

 

 

 

 

\ 未来の私はめーっちゃ笑顔だ!!w /

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~したら「バチ」があたるよ!

 

と、さちまるが

小さい時から親に言われてきた件について

考えてみたぞ

 

 

 

 

まずそもそも日本人って、

 

真面目で

丁寧で

礼儀作法を重んじていて

 

とても素敵な

民族だと思うのです

 

 

 

 

 

 

私は日本の「品のある文化」は

とっても大好き。

 

 

 

スタバで鞄の中に

財布や携帯を入れて

席を外しても盗まれないしね

 

 

 

 

 

 

なんだけれども。

 

 

ルールを厳しく教えられて

出る杭打たれるような世界で

学生の時から教育されてきたもんだから

 

 

 

常識的に、こうすべきでしょ

普通、そうすべきでしょ

みんな、あーしてるよ

 

 

 

っていう「~すべき」という固定概念に

とらわれがちな民族が日本人なんだよね

 

 

 

 

 

 

しかも

 

 

島国でよそ者を入れることを拒否する

 

単一民族

単一文化

 

言わなくてもわかるでしょ

スタンスの人が多いこと多いこと。

 

 

 

 

基本的に

 

多国籍国家における

コミュニケーションの

目的の根底には

 

文化の違う民族が集まっているのだから

言葉にして伝えなければ伝わらない

 

だから

 

言葉でしっかり伝えよう

 

という目的があるのね

 

 

 

 

 

 

でも

日本は単一民族

 

 

 

同じ文化で育ってきたんだから

 

当然、わかるでしょ。

察しなさいよ

 

というスタンスが主流。

 

 

 

 

つまり何が言いたいかというと

 

 

 

 

日本人は

「察することが出来ない人を責める」

傾向にあるわけね

 

 

 

 

 

そして

今まで生きてきて

 

 

そんなことしたら

バチがあたるよ!

 

 

って言われたこと無い?

 

 

 

日本の仏教ではさ、

 

悪いことをしたら

「罰則」を与えるのが「神様」

 

って教えられてきてるのね

 

 

 

 

 

 

それに対して

 

 

 

 

 

 

キリスト教

毎週日曜日に教会へ行って

 

 

 

牧師様へ

私はこんな悪いことをしました

と謝罪しにいくのね

 

 

 

そこで

イエスキリストは何をするかって

 

 

 

謝罪をしにきたその人を

許す

のよね

 

 

 

 

 

 

 

「罰を与える」

日本の神様

 

 

反省をした民に

「許し」を与えるイエスキリスト

 

 

 

 

 

 

日本人の皆さんさ、

 

 

 

 

自分でも自分を責めて

 

「常識」や「普通」とやらに囚われて

他人を責めてさ

 

宗教でも責めてさ

 

 

 

 

 

 

いいやん

 

 

 

 

 

 

そんなに責めんでも。

 

 

 

 

 

 

 

失敗もするさ

間違いもするさ

 

 

人間だもの

 

 

「今を生きている」

ただそれだけで

あなたは尊くて愛される存在なのよ

 

 

 

 

最後まで読んでくれたあなたが好きですラブ

ありがとう愛