でもこのBlogでは素直に自分の気持ちを吐き出す事で危うくなる時、心のバランスを取ってきました

だから本当に支離滅裂や誤字脱字が多かったりして、後から「あっ💦」と思う事も多々あったり。
でも「素」の自分で居たかったんです



それが誰かの心に止まったり「あぁ、もがいているんだ」と思ってもらって誰かが1人じゃないと感じてもらえたら嬉しいって。
昨日久しぶりに親友に会う事が出来て、今の気持ちを淡々と話す事が出来ました。
彼の前で私は喜怒哀楽がハッキリしているタイプで、そんな私と大学時代から本当に良い友達で居てくれています。
彼にはこの1ヶ月以上の不調を言っていなかったけど会った時に察知してくれて「今日しんどくないの❓ご飯はどうする❓」って話の流れで自分の今の状況伝える事が出来ました

今ある種の心に穏やかさがあるという事。
不調は変わりないけど、もう治療する気力も体力もない事。
うさ子ママが今の仕事を辞めて、奈良のお兄ちゃんと3人で暮らして行けばまた治療再開出来るよ❗️と言ってくれたけど(もちろんうさ子のお兄ちゃんも同居は賛成)
もう誰かの負担になりながら何年も治療し続ける事に価値を見出せない事。
発症から6年。元気になる為に❗️と積み上げてきた事がゼロになった虚無感。
そしてどこかもうやり切った清々しささえある事

もう誰かと出会って恋愛する気力もない。
「私の願いと神様の願いは違ったんだな。」という納得。
30年よく今日まで頑張ったね
と自分を褒めてあげたい





ありきたりな子供時代を送れなかった事・送らせてあげれなくてごめんと最期にうさ子パパが謝ってくれた事で溶かされた私の心のしこり。
行ってみたかったけど、行けなかった海外旅行。
特に体の痛みが酷い時、手すりにすがりながら階段を上がる最中にふと
「あぁうさ子パパも最期が近い時、私と同じ景色を見てたんだな。」って思った事。
うさ子パパは最期に近づくにつれ、今まで興味のあったものが1つ1つ無くなっていきました。
好きだった水泳をTVで観る事。
甘い物が好きだった事。
うどんが大好きだった事。
歌を歌う事、賛美歌を聞く事が好きだった事。
ドライブにうさ子ママとよく行く事。
今私には少しその気持ちが分かります。
うさ子パパが入院する時に「何か持っていく物はある❓」って聞いたら
部屋を見回して「何もないな。メガネだけや。」って行った時。
つくづくその後ろ姿を見ながら「この世にある物はホンマに何も持っていかれへんねんな。」って強烈に思いました



だから生きているうちって色々な人と出会って、種を蒔くんだと思うんです。その人との間に何色の花が咲くのかは分からないけど。
「残す事」は出来る。
それを充分やってこれた達成感が今の私にはあります。
だからお父さんや天国を近くに穏やかな気持ちで感じるのかもしれません。
ただ川に浮かぶ葉の様に流れに身を委ねて



今はもう本当に何もせずに静かに静かに時を重ねたいです



今まで背負ってきたもの全部下ろして。
そしてそれを良しとしてもらえる安心感。
不思議な気持ちです


