私は母子家庭で育っている。(現在進行形)



小さい頃は寂しくないか?不安じゃないか?と色々な大人に聞かれた。



断言する。
私は寂しいとも不安だとも感じたことが無い。
そう聞かれた時に「みんななにいってるの?」と思ったくらいだった。



両親が離婚したのは確か私が小学2年生の時だった。2人の仲が悪いのを知ったのは保育園のときだったかなあ。


当時、東京都内の超都会の保育園に通っていて、その近くのタワマンに家族3人で住んでいた。


毎朝お母さんのこぐ自転車の後ろに乗ってマンションから通園していた。見えるものはビル、ビル、ビル。と、運河。潮風を浴びながら保育園に行っていた。


自転車の後ろのチャイルドシートから、あの景色とお母さんの、一生懸命自転車をこぐ後ろ姿を見たのはいつが最後だったんだろう。


本当にある日突然両親が不仲になった。
きっと私に隠していただけで、私の知らない何かがあったのだとは思うけど……


あの日のことは忘れないと思う。
滅多にしない保育園の早帰りをした。
お母さんが私を迎えに来たからだ。
お母さんがあの時どんな気持ちだったかは分からないけれどお母さんは私にこう言った。


「パパに出てけって言われちゃった。」


まだ6歳だった私にはその言葉の重みも、それに隠されたお母さんの気持ち、お父さんの気持ちも分からなかった。ただ、神奈川にある実家に帰るお母さんに付いていくだけだった。


それからはよく覚えていないが
お母さんの実家で祖父母にも囲まれながら都内の保育園に毎日グリーン車で通っていた。


そして気づいたら保育園卒園、お母さんの実家のそばにある私立小学校に入学していた。


入学式には、お母さんお父さんが揃って来てくれていたと思う。それからの学校行事にもふたり別々ではあったが来てくれていた。


小学2年の時、両親の離婚が決定した。
私がそれを理解したのは自分の名字が変わったからだった。その時は何も分からずそのことを受け入れていたが、もし今そうなったら受け入れられないな。


お母さんに連れていかれたビルの中で知らないスーツのお姉さんと遊んでいた記憶がある。
きっとあそこは弁護士事務所かなんかだったんだろう。



私は両親の離婚理由を未だに知らない。
10年経った今でも2人とも私に話そうとしないから、きっと聞いてはいけないんだと思う。
2人が話してくれない限り、私から聞くことは一生ない。でも、それでいい。






今の学校で私が母子家庭で育っているということ、元の名字が今の名字でないことを知っている人はほとんどいない。隠している訳では無いが言いたくない。同情されたくないから。


私は最初にも言ったように寂しいとも不安だとも思ったことは無い。確かにお父さんお母さん私の3人で出掛けた記憶はほとんど無いけれど、
私にとってお母さんはお母さんしか居ないし、
お父さんもお父さんしか居ない。


お母さんは必死にお父さんの役目をしようとしてくれていたけれど、私はお母さんのことをお父さんと思ったことは無い。
私のお母さんは世界でいちばん!最高のお母さんだ。


今はお父さんのことも好きだが、
小学生の間はお父さんのことが大嫌いだった。

お母さんを傷つけたお父さんが嫌いだった。


(また今度お父さんにスポットライトをあてた記事を書く予定だが今回はお母さんにだけピンスポをあてる。)


お母さんは私を育てるのに相当苦労したと思う。
しんどかったと思う。


それでも私をここまで育ててくれた。
ありがとう。
私は世界1幸せな母子家庭で育っていると思う。


(つづく)