このブログを書き始めたことを、すっかり忘れていた。

 

 

 ブログを書き始めた時期から、私の仕事が変わって怒涛の数ヶ月が過ぎ、やっと、残した仕事を寝る前にこなす暮らしが落ち着いてきて、ふとこのブログの事を思い出した。

 私は今、もともと住んでいたところから約800キロ程離れた場所に住んでいる。

 ここでは、自分の事を知る人は一人もいない。昔からのしがらみもない。

ただ、マリーの近況報告は継続されている。

 

 住んでいたところ離れるときも、私がマリーのと関わっていることを知った先輩からは、

「知らなくてごめんね」と。

「辛いでしょ、お察しします」と言わんばかりのお言葉をもらった。

・・・気持ちはわかる。マリーと接していると、何故だか自分の心が尋常でないくらい疲弊する。

今は何も感じないけど、知り合った当初は私も本当にそうだった。

あの感覚は、一体何なのか。

周囲でも、中には彼女と接したことが理由で(本人がそう周囲に言っていた)、

音信不通になった人もいる。

彼女を取り巻くこの負の連鎖は一体何なのか。

知人の精神科医に相談しようかと、彼女についてのレポートを本気で作成したこともある。

結局出さなかったが。

誰かが、彼女を楽にできる解決法を知っているのか。

あの、「負」に引き寄せられる感覚。

ズ―――――ンと疲弊する感じ。

なんなのだろう。不思議で仕方ない。

 

 

 心をヒーリングしてくれる言葉集、自分を勇気づけてくれる言葉の本、自分も洞窟の出口を必死に探して、読み漁った経験がある。

 そのときに見つけた言葉が自分の心に刺さっているから、今、傷ついている目の相手に対して、励ましやいたわりの言葉を送ってあげられる。そして、時に癒してあげられる。

 辛い状況下に居る相手を前に、あの時自分がして欲しかったことを、自分もできるようになったんだ。という出来事と出会えたことで、あの時のつらい時期は無駄ではなかったのだ、と思い、自分も救われた気持ちになり、心の中の、いつまでも子供のままだった部分が一つ大人になる。

 逆に、自分がしてしまったことの後悔もある。毎日毎日、一日何度思い返せばいいのかと思うくらい思い返して、場面を反芻しては雑に開き直り自分を慰めるときもある。

 

 マリーに終わりが来るのかはわからない。

マリーは、周囲にしてしまったことの罰は毎日充分に受けている。

だから周りにも、マリーに対してしてしまった酷いことを優しさで上塗りしてあげてほしい。

マリーが一人で抱え込む世界なのか。と。思う。

ブログを読み返して思った。

今日はこの辺にしよう。

 

マリーはマリー。私は私。のスタンスが、お互いにとって心地よい。