あの頃の友だち | よさこいの夏

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spunkyなspecialなsweetyな日々をず~っと(^^♪

2023年12月からこちらへ引っ越しました。

2年前の春に、16年間勤めた職場(重度身体障碍者施設)を辞めました。

直接のきっかけは2カ月ほど続いためまいでしたが、まあ体力的にも精神的にも転換期に差し掛かっていたということでしょう。

 

たくさんの思い出が何よりの宝物ですが、

自分自身に得た大きなものと言えば、

身体に重い障害を抱えながらも、できることを最大限に生かしつつ前向きに人生を進めていく利用者さんたちの生き様を感じ取れたことでした。

 

心を通わせられたと感じられる利用者さんが何人かいます。

何人かの方と今もLINEで繋がっています。

中でも言葉を発声しにくい障害を持つ人たちとはLINEは驚くべきコミュニケーションツールになりました。

ご本人に相対した時、一生懸命伝えようとしてくれている言葉が、一生懸命聞き取ろうとしても、どうしても分からないもどかしさ…

それがまるで雲が晴れるように一気に理解できる文字の言葉。

なかなか言葉が理解し得なかったTさんから初めてLINEメッセージが届いた時の衝撃は今でも忘れられません。

英語で通じ合えないと思っていた人と、突然、日本語で分かり合えるようになった感じです。

 

Tさんとは私がガイドヘルパーにも入り、休日にも映画に行ったり、お友だちとスウィーツを食べに行くのにお付き合いしたり、京都や奈良へも遊びに行きました。

一度、神戸のルミナリエにも行きました。

仕事ではありましたが、友だちと遊びに行くようなものです。

車椅子を押しての移動、食事から排泄まで様々な介助が必要な方ですが、気持ちは親密につながっている感覚がありました。

 

昨夜、そのTさんからビデオ通話で電話がありました。

6月に私は母を亡くしましたが、その3日後ぐらいにTさんから「お母さん亡くなった」というメールがあったので、私たちはちょうど同じ時期に母を亡くしたことになります。

そんな時に、私のことを思い出して連絡をくれたのですね。

 

昨日は30分ほどほぼ一方的に私一人でおしゃべりしました。

「ありがとう」や「ホンマやなあ」みたいなことを言ってくれた時にはそれが分かりますが、他の言葉は私には拾えないのですあせる

私の近況を次々と伝えましたが、

私が知りたいTさんの近況は分からなくてもどかしい汗

 

お母さんが亡くなってから入られた施設は居心地がいいのでしょうか?

仲良しのHちゃんとは今でもお出かけできているのでしょうか?

堺あけぼの園には今でも通えているのでしょうか?

そんなことをあれこれお聞きしても返してくれる言葉が私には聞き取れない汗

「ごめん~汗分からんわ~汗

 

私はスマホに向き合っておしゃべりしてたので、彼女には私が見えていたのかな?

でも、私のスマホに映し出されている画像は彼女がいる部屋の天井にある白い蛍光灯だけでした。

 

あ~、会いたいな~。

Tさんと初めてお出かけした時に食べに行ったイチジクパフェ。