「よっちぼっち」齋藤陽道 | よさこいの夏

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2023年12月からこちらへ引っ越しました。

人間の中心にある一番大切なものは感性なのだなあとつくづく感じた1冊でした。
目に入るもの、初めて出会うものを深く感性で受け止めて、全力全霊で生きて行く。そんな齋藤陽道さんと奥さんのまなみさん。そして、家族として迎えられた(いつき)さんと(ほとり)さん。ろう者である陽道さんとまなみさん。でも、子どもの樹さん、畔さんは音が聞こえる。こういう子どもをコ-ダ(CODA:Children of Deaf Adults)というそうだ。これをタイトルにした素敵な映画がありましたね。「CODA~愛のうた」

「暮らしの手帖」25回に渡って連載されていたエッセイを1冊にまとめた本です。

写真家である陽道さんが撮った家族の写真が一緒に掲載されています。ろう者として育ち、学び、健常者社会の中で傷ついたり迷ったりしながら、独り立ちを果たした道筋がありのままに書かれています。文章が素晴らしいです。

見えないこと、聞こえないこと、体が不自由なこと、心が自由でないこと、人にはいろいろな障害がある。

でも、初めからそのように生まれてその自分の身体で生きてきた人にとっては、それは”普通のこと”なのだ。

できる人から見れば”不自由”であっても、それはできる人からの視線でしかない。

このことは、私自身が16年勤務した肢体不自由者施設の利用者さんから教わったことでもある。私たちからは不自由に思えるその体も生まれた時から自分のものであるならば、その人にとっては普通のことなのだ。

斉藤陽道という人の感性が深くて透明でとても綺麗だと思える本です。

 

耳が聞こえないということはどんな感じなんだろう?

「見ること」「視覚から感じ取ること」にもっともっと心を研ぎ澄ませながら日々を送ることになるのだろう。

聞こえる人の発する音声を感じ取り、口の動きを見てその言葉を思い浮かべ、自分も同じように声を発するという訓練をされ続けたという幼少期。

高校時代に「手話」と出会って初めて”聞こえる人”とのコミュニケーションの扉が大きく開かれ、自分で世界が感じ取れるようになったという陽道さん。

 

障害を持つ人の暮らしはこの10年ほどで大きく変わりましたね。
今では手話は美しいもう一つの言語のようにさえ感じられます。
秋篠宮紀子さまや佳子さまが美しい手話で演壇に立たれるのを度々目にすることも手話のイメージを変えた一つのことでしょう。

肢体不自由の障害を持つ人も家に閉じ込められることなく、ガイドヘルパーを使って、カフェやショッピングに出かけて行けるようになりました。

 

日本語があるように、手話にも日本手話というのがあるのだと初めて知りました。それはそうでしょう。日本語を手話にしているのですから。日本語や英語、フランス語、ドイツ語があるように言語としての手話がある。そんな感じですね。手話は手先だけの文字ではなく、体全体を使って世界を感じながら表現するといいと書かれていました。その感じよくわかります。英語を学ぶように手話を学んでみようという人が増えて行けばいいですね。

 

「よっちぼっち」とは、”ひとりぼっち”が4人集まった家族それぞれの一人ひとりの生き方を表しています。
本の最後はもう一人、まなみさんのおなかに赤ちゃんが宿って、もうすぐ「ごっつぼっち」になるというところで終わっています。

人は誰もみんな本当のところはひとりぼっちで生きて行くのです。生れてくるのも死んでいくのもひとり。でも、生きている限りはその間に、周りにいる誰かと心を交わし合い、触れて暖かさを感じ合い、いい香りや、美味しい食べ物を味わったり、使える五感を大切に人生を享受していくことは幸せなんだなあと改めて感じることができます。

そして、子育て期間の幸せが本当にかけがえのないものであることも改めて思い知ることができました。自分以外の誰かとこんなに見つめ合ったり抱きしめ合ったりできるのは、きっとこの短い数年だけのことでしょう。親という存在を全身で頼って愛を送ってくれる我が子。ギュッと抱きしめることができる。これは我が子が幼いほんの少しの間だけのことなのです。人生の中で最高一番の神様からの贈り物ラブラブ