遠い遠い対馬までやっと辿り着きましたが、今日の半日観光でもう帰らなければなりません。
2~3日はゆっくりしたいところですね。
朝は8時出発。
今日のバスガイドさんは諸松さん。
若い方でした。東京で働いていたけど去年、地元にUターンしてバスガイドの仕事を始めたそうです。
コロナ禍で衰退してしまった対馬の観光業を私がなんとかする。
ご実家はお宿をされているそうです。若い人のアイディアで新しい風が吹き込めばいいですね。
10分ほどで対馬藩お船江跡に着きました。
対馬藩が朝鮮と交易するための船を整備するために使われたドッグです。
綺麗に整備されています。
ここは個人の所有地だそうで、75歳になる地主さんがお一人で管理されているそうです。こういうことにこそ県や国の助力が欲しいですね。諸松さんは春になると侵食して来る竹の伐採をお手伝いされているとか。
県道382号線を走りながら両サイドに移りゆく観光ポイントを次から次へと解説してくださいます。この1年でものすごく勉強されたそうです、
長く対馬を治め続けた宗家。19代義実公は朝鮮との対等な交易を維持するために、1300人もの朝鮮通信使が行列を組むための広い道を整備し、対等であるためには教育が重要と、1600年に日本で最初の小学校を作ったそう。
対馬の白い土で伊万里の陶芸士に器を作らせ、茶の湯も発達したそうです。
「モノの始まりみな堺」と我が街・堺では昔から言われて来たようですが、「モノの始まりみな対馬」のようなお話をいろいろとされました。大陸からの文化がまず伝わったのはこの島なんだと感じられました。
全長82kmという長い島ですが、漁業や戦争に必要で途中の細いところを抜いて東西に海流を通す大工事が行われたお話も。
45分ほど走って、島の真ん中辺りまで上ってきました。
和多都美神社に到着。海中鳥居が有名なところだそう。
今は引き潮で一番奥の鳥居だけが海中にありました。
瀬戸内海の厳島神社の海中鳥居も、対馬出身の人の助言でできたそうな・・・。
3本柱の鳥居がありますが、鳥居の原型はこの3本柱だそうです。
でもこれを作るのはとても難しいので、全国に波及させるために誰もが簡単に作れるように鳥居の脚は2本になったそうです。
海の神様・豊玉姫命を祭る神社。社殿の奥には、静寂な森が拡がっています。
観光はこれで終了。
対馬グランドホテルで昼食を食べてから厳原港へ向かいます。
グランドホテルでの昼食は全員、前を向いて、1テーブル2人まで。
ここで一人参加の人が9人もいることが分かりました。
全国旅行支援が始まって、一人参加の人をたくさん見ます。
お値段も同じようです。気楽でいいよ~ということです。
そうかも~。
最後のお刺身定食。やっぱり新鮮で美味しかった。
時間があったので、ホテル敷地内をお散歩。
最後にこんな綺麗な海が観れました。
厳原港でまた時間待ち。
13:00のジェットフォイルで博多港まで帰ります。
また揺れるかな~、とドキドキしたけど、大丈夫でした。
博多港まで2時間15分。
15:15には着き、博多駅まで観光バスで20分。
新幹線は18:05発だったので、2時間ちょっと自由時間ができました。
ふと思いついて、天神町で学習室を経営している学生時代の友人に連絡してみました。
一度見に行ってみたかった「ノマドクロス」。
福岡の中心地でもうオープン10年になります。
会社を辞めて、一念発起して自分で歩き出した友です。
タクシーで10分ほど。
静かにしないといけない場所だったので、ワイワイ再会を愉しむというわけにはいかなかったけど、
変わらない笑顔で迎えてくれてとても嬉しいひとときでした。
暖かい照明の下、それぞれに机に向かって勉強したり仕事したりしているお客さん。
常連さんもたくさんいるそうです。
ビジネス街の真ん中に、こういう場所があるのはとてもいいような気がしました。
友人とコロナで中止になった同期会の早期再開を約束して別れました。
またタクシーで博多駅に戻って、18:05発ののぞみで新大阪に帰って来ました。
新大阪には20:30着。地下鉄と泉北高速鉄道を乗り継いでバスで自宅に着いたのは21:50。
最後にいいお土産になった再会もできて、今年〆の旅。
とてもいい旅でした。
しっかり者の添乗員の中村さん。
明日は山口へ。その後は静岡へ行くそうです。
気さくでシャキシャキしていて頼りになりました。
お世話になりました。