「在宅ひとり死のススメ」上野千鶴子 | よさこいの夏

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2023年12月からこちらへ引っ越しました。

Img_20220928_0001 高齢者が今の暮らしを幸せだと感じているか?を数字で示した「生活満足度」ひとり暮らしの人が圧倒的に高いそうです。
次に高いのが三世代家族。
四世代家族の満足度は独り暮らしに並ぶそうです。
最低なのが、二人世帯。つまり夫婦だけの世帯。
二人家族には、夫婦だけの場合と親一人子一人の場合がありますが、
一番満足度の低いのは夫婦二人暮らしのようです。
更に夫婦の中でも夫より妻の方が低い

わからないでもないです。
上野さんがこの本の中で参考にしている辻川覚志さんは、寂しさ率、不安率、満足度、悩み度など、「おひとりさま」を複数同居家族、子どものあるなし、子どもが遠くに住んでいる、近くにいるなど、実際の様々な角度からのアンケート結果で分析しています。

その結果、ひとりが一番気楽で愉しいとおっしゃいます。
わからないでもないです。

 

満足のいく老後の三条件は、
①慣れ親しんだ家から離れない。
②金持ちより人持ち。
③他人に遠慮しないですむ自律した暮らし。
だそうです。

 

介護保険制度が誕生して、高齢両親の介護は家族で担うべきという歴史的使命感が大きく変わりました。
20年も経った今では、介護を他人の手にゆだねることが普通になってきました。
これは人生の後半を生きる私たちにはとても大きなことです。

例えば認知症になったら、病院ではなくグループホームに託すこともできるようになりました。
昔は病院がそういう役割もしていたようです。
自分が認知症になったら、子どもに迷惑をかけるより施設に入れてくれという人もいるようです。

 

でも、上野さんがもう一歩踏み込んで書いているのは、
もし自分が認知症になったら、自宅で過ごすことは可能か?ということです。
「おひとりさま」でずっと生きてきた人ならではの考察です。

 

家で高齢の親がもし急変したら、どうするでしょう?
119番する?
もし亡くなってしまったら?
警察を呼ぶ?

介護保険を最大限に利用して、日頃から生活介護を受けていたら、訪問看護師にも繋がっている。
訪問看護師から訪問医師にも繋がっている。
そうであれば、家族が急変した時には、かかっている訪問医療先に連絡し、
もし亡くなったら、訪問医師に死亡証明書を書いてもらえばいいそうです。
119番して救急搬送されると、管に繋がれ延命処置を受けることになります。
病院とはそれが使命だからです。
まして死んだからと言って110番してしまうと、事件性が無いか?と警察に調べられてしまうことになります。
そうか、そういうことですよね?

介護保険法が可能にしたのは、こういう看取りの方法を当たり前のこととして選択できるようにしたこと。

自分の死に方を、健康で元気なうちに表明しておく「リビングウィル」を預かる事業も登場してきているそうです。
でも、上野さん自身が一番恐れていることは自身が「認知症」になってしまったらどうするか?ということです。
認知症でも、ケアマネさんが自分に変わって、いろいろなことを判断して手配してくれれば、一人暮らしは可能でしょうか?
自分自身が正しい判断ができなくなってしまっても、自宅で暮らし、自宅で最期を迎えることができるのでしょうか?

生涯ひとり暮らしを実践している上野さんならではの自分視点でとことん追求しているところが面白い。
そして、納得もできるし、新たな視点も得ることができました。

 

陶芸クラブで私にとっては母のような人だったHさん。
昨年の5月4日に86歳で亡くなられました。
体に癌が見つかってから、娘さんとよく相談された上、入院しての積極的治療は受けないと決められ、
ご自宅で訪問診療を受けながら最後まで穏やかに過ごされました。
3月の終わりに、体調がよくないので陶芸クラブを卒業することをご挨拶に来られました。
私たちがHさんの死を知ったのは6月に入ってからのことでした。

 

Hさんが娘さんに「私が死んでもすぐには誰にも知らせなくていいよ。あんたが落ち着いてから、私がお世話になった人たちにお礼だけ言っといてね」とおっしゃっていたそうです。お葬式もしなくていいとおっしゃったそうです。
私がHさんの死を知って、信じられない思いでご自宅を訪ねたのは6月を10日も過ぎた頃でした。

 

死を迎える前のHさんのご様子を聞くにつれ、その見事な死の迎え方を、本当にHさんらしいと心揺さぶられました。
お母さんの思いを受け止めて、それを支えられた娘さんもまたHさんと同じく優しい穏やかな方でした。

 

この本を読みながらHさんのことが心に浮かびました。
誰もに必ず訪れる死。
私もそんなことを時々考えてしまう歳になってしまいました。