昨日、悲しい知らせが届きました。

私の劇場公演のお芝居では欠かせない存在だった女優「行友勝江」さんが、昨年11月17日に亡くなられていたという知らせでした。

行友のおねぇちゃんと、昔一緒にお芝居をやっていた方が、知らせてくださいました。



おねぇちゃんとの出会いは、昭和53年7月「林与一さん」の明治座公演でした。

まだ、ヒット曲のない私は、劇場公演の経験が少なく知らないことだらけでした。

その時一緒の楽屋になったのがキラキラ行友のおねぇちゃんキラキラでした。本当に沢山のことを教えていただきました。お芝居の着付け、白塗りのしかた、劇場の中のルール、楽屋のルール、衣装さん、床山さんのこと、日舞、所作、沢山沢山、優しく丁寧に教えてくれました。

その7月の公演の千穐楽に、古賀先生が亡くなり、気が動転していた私の背中を叩いて「しっかりしなさい!」と声をかけてくれ、舞台が終わると「先生のところに行ってらっしゃい!」と温かく送り出してくれたのもおねぇちゃんでした。

公演中は本番が終わると、二人で良くお風呂に入りいろんな話をしました。


その時私がこんなことを言いました。

キラキラ私がいつかヒット曲を出して、劇場でワンマンショーや座長公演が出来るようになったら、絶対おねぇちゃん出てね!!キラキラ
と。
おねぇちゃんも
キラキラもちろん出るわよ!!キラキラ
と、夢の話のように二人で話をしていました。


その翌年。
『おもいで酒』という大ヒット曲に出会いましたキラキラ☆

そして、昭和57年。夢が叶いました。
浅草「国際劇場」新春特別公演で初のワンマンショウをやらせていただくことになりました。

もちろん、おねぇちゃんにも出演していただきましたキラキラ







その公演でも、沢山のことをまた教わりました。
そして、その時、また新たな約束をしました。

キラキラこれから、私が劇場公演をやる時は、一生絶対に出てね!!!!キラキラ
と。



その後、1回も欠かさず毎回出演してくれた、おねぇちゃん。

私の舞台には欠かせない存在でした。


私だけではなく、みんなに優しくて、慕われていて、みんなのおねぇちゃんで、おかあさんでした。そして、私のお師匠さんキラキラ


今は、感謝しかありません。
本当にありがとうございました。


安らかにゆっくり休んでくださいね。

そしてまた、一緒にお芝居やりましょうキラキラ


ご冥福をお祈りいたします。