来るべき時が来た、という感じです。
ほとんど日本国内で放置状態だった日産シーマ(日本以外では、インフィニティQ45)、プレジデントが8月末で生産終了となります。
V8エンジン搭載車種は日本国内から消滅し、フーガ(特にこの秋発売のハイブリッド)が後を担います。シーマ・プレジデントの代替を考えると(フーガの日本以外の名称)インフィニティMのV8 5.6リッターを搭載したフーガ560GT、560VIPを設定すべきではないのでしょうか。
官公庁や企業の公用車・社用車として幹部・役員・経営者の送迎用として使われ、特にプレジデントは「大臣・社長の車」として親しまれてきました。
松沢成文・神奈川県知事はシーマを公用車として使っています。横浜市長・副市長、横浜市会議長・副議長の公用車はプレジデントです。中田宏が横浜市長時代には、市長公用車をジャガー(おそらく先代のXJ)に変えましたが。創業地であり、今も一貫して登記簿上の所在地が横浜(新子安)。主要拠点も横浜をはじめ神奈川に多い。去年夏には横浜駅前(みなとみらい)に本社機能も移り、名実共に神奈川財界の代表格。地元の企業に敬意を表していますね。
http://blog.goo.ne.jp/goo1120_1948/e/3283c27ba927d2d7badf175c39b56cfc
22年前の1988年1月、初代シーマが誕生。当時のバブル景気とあいまって「シーマ現象」と呼ばれるほどの大人気でした。当時は「セドリック・シーマ」、「グロリア・シーマ」。セドリック/グロリアをベースに専用の外観を持たせました。
高性能とジャガーを思わせる外観で一世を風靡。
当時小学校時代でしたが、医師の娘が同級生で、シーマのどれにしようか悩んでいたと語っていました。
2代目が91年8月に登場。単に「シーマ」となりました。初代のイメージを踏襲してジャガーを彷彿させるデザイン。V8エンジンが主役となりました。
その後、96年6月に3代目となり、インフィニティQ45と統合しました。
2001年1月には現行の4代目。
プレジデントは、1965年秋に登場、73年に大幅な改良を経て90年まで生産しました。
90年秋、インフィニティQ45(初代)をベースにした上級版として2代目に移行。
2代目は2002年一杯で生産を終了し、翌2003年秋、東京モーターショーに合わせる格好で現行の3代目が登場。
こちらはシーマがベース。
衝突安全性を満たさないため、生産終了というのは分かります。せめて、前述のようにフーガにV8を再設定するくらいしてほしい。そして、将来的にはインフィニティを日本でも展開してほしい。
地元神奈川(横浜)の人間としては残念ですが、創業地・本社のある日本を軽視しているようでほかなりません。小泉純一郎・進次郎親子、石原慎太郎・伸晃親子、中田宏、松沢成文、菅義偉、甘利明、松本純、江田憲司、浅尾慶一郎らネオコン・ネオリベ政治家のパトロンであり、ルノーの利益の半分を株主配当という形で稼ぎ、送金している日産。従業員や資産をリストラして得た資金で役員報酬を上げ、日本人をこき使う日産。
私は、トヨタ以上に日産を厳しく追及し続けます。
http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-5dc0.html
神奈川県庁の不正経理と市民を食いモノにした中田前横浜市長
http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-54eb.html
ルノーに買収された日産の惨状
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20100527-OYT1T00186.htm
日産「プレジデント」「シーマ」生産終了
日産自動車が最高級車種の「プレジデント」と「シーマ」の生産を、8月で終了することが26日、わかった。
ハイブリッド車(HV)や電気自動車(EV)など環境対応車の人気に押されて販売台数が落ち込んでいることに加え、新しい衝突時の安全基準に適合しなくなることも一因で、看板車種を含めた高級ブランドの集約に踏み切る。
プレジデントは1965年に発売され、「大臣、社長の車」として主に社用・公用車として人気を集めた。シーマは、発売された88年に3万6000台を販売する大ヒットとなり、「シーマ現象」と呼ばれる言葉を生み出すなど、バブル期を象徴する人気車種となった。
しかし、バブル崩壊後は両車種とも低迷が続き、2009年の販売はプレジデントが約50台、シーマが約300台にとどまっていた。
日産は今後、高級車ブランドを「フーガ」に集約する。資本・業務提携した独ダイムラーと、エンジンや車台の共通化も検討しており、開発費の圧縮を図る。