久しぶりのアメバ | 菅野さち子 オフィシャルブログ「ふるさとを忘れず、ふるさとに寄り添い、ふるさとのために生きる」Powered by Ameba

久しぶりのアメバ


あれから10年が経ったー


国会議員になって、貴重な経験もし、あり得ない酷い目にもあった

7年前には次女を病気で失った

自分の人生で最悪の時を何年も過ごした

死んでしまいたいと何度も思った

命がいくらあっても足りないくらい


一歳半で親戚の囲炉裏で左手を火傷した

東大病院で3回手術をして

6歳の時の記憶は、まだ鮮明に残っている

手術室の前で泣く私に母は

泣いたら怒る💢から!

泣くな!

と言われて

悲しくて、孤独で、大泣きしたのを覚えている


火傷した手を理由にいじめられたことはほとんどなくて

五年生のダンスの時間に相手の男子がてんぼうとからかったのを、お友達が庇ってくれて

〜くん!さっちゃんをいじめるなら、私たちが相手する と彼の前に立って私を守ってくれたー


父母も身体障害者手帳を作るようにと役所から言われた時に二人とも賛成しなかったので、私はソニーに働くまで障害者手帳は持たなかった。


だから、私は障害者意識がなく生きてこれた

親の愛はその時は分からなくても、深いものなんだなぁーと思う方ができた


さて、私も古希を迎えて孫も5人になった。もうそろそろ人生最終段階に入ったー


でも、振り返ればこれまで

私の思いは家族や周りのことばかりに意識がいつて、本当の自分が見えてこない


過去のいろんなことを思い出しても、本当に自分がやりたかったことは何なのかと振り返ってみると、親への遠慮なくから言えなかったことや、家族へのことを優先して自分が本当になりたい事が後回しになっていたなと気がついた


本当の自分とは?

あなたは本当は何がしたかったの?

自分自身に問うたみたー


高校🏫は、本当は海の見えるいわき市にある女子校に通いたかったー

海が好きだから、それと電車が🚃混まないので電車酔いしないからー

でも、それを父には伝えることができなかったー

ちちは郡山にある女子校に通わせたかった。親戚がそこにいるから、保証人になってもらえるから、それと、その女子校の合唱部が有名で、私が歌うのが大好きだからそこがいいんじゃないかと思ったからだー

父としては最大限の私に対しての配慮だったけれど、私の理由はその二つだけー

今思えば、父に思い切って伝えたらば、私は私の人生を自分の成功体験からスタート出来たと思っている


だから、塾の生徒さんたちや親御さんたちに伝えることは、本人が本当はどこに行きたいのか、何をしたいのかを本人に聞いてくださいー

とお願いしている


その自分の失敗から自分の子どもたちをはじめ、塾生さんたちの成功体験はかなり高い❣️


高校🏫は福島市内にあるミッションスクール

郡山の女子校よりは入りたいと思っていたので、楽しい3年間を過ごすことが出来たー

大学をアラブ段階になって、私は歴史が好きだったので、成績もなかったせいか、東北大学出の神野先生当時は地元テレビの時事の番組にも出られていて、私の尊敬する先生から東北大の史学部を受けてみないかと言われたー


両親は私を医学系に進んでもらいたかったので、そのことを言えずに進路について悶々としていたのが3年生の終わりまで続いて、結局は滑りどめとして、確保していた高校の女子短大に入ることになった。父は浪人を勧めてくれたのだけれど安易な道を選んだー

全ては自分の選んだ自分の人生なので、後悔しても何も取り戻すことなんて出来ないんだー

だから、前を向いて突き進んでいくほかは無いー

さて、今日は満月🌕そして、中秋の名

お団子🍡作ってススキを🌾飾って果物をあげて月光浴をして、できれば全裸で浴びたいけど^_^

新しいスタートを月で見ているご先祖さまや両親とご先祖さまになってしまった夫と恵ちゃんに祈り誓います🤲

私は私を幸せにします😃

辛い時期は、もう終わりにして

幸せをつかみます

素晴らしいベストパートナーを見つけて

二人で一緒に幸せな人生を、創ります❤️

ありがとう😊いつも本当にありがとう😊佐智子