外務大臣に挑んだ女 (3) | 菅野さち子 オフィシャルブログ「ふるさとを忘れず、ふるさとに寄り添い、ふるさとのために生きる」Powered by Ameba

外務大臣に挑んだ女 (3)

11月19日(月)

 

高校では、菅野さちこ氏と二人の県議が並んで、校長から、

「様々な面で迷惑だ」

と、二時間に亘り小言を言われた後、辞表を提出させて頂いた。菅野さちこ氏は高校の講師では無くなった。職業的にも、もう後には引けなくなった。

 

 菅野さちこ氏が経営している学習塾も休業とし、塾の建物も事務所として使う事とした。

  菅野さちこ氏は、長男がマスコミ人である為、母の出馬により、配置替えなどで迷惑がかかる事を強く心配していたが、午前中の長男が勤務する会社の会議で

「母は母、本人は本人だから配置は替えない」

「選挙運動の際、身内にマスコミ人がいる事をウリにしてはならない」

事が確認されたと言う事を電話で報告した。


「え~、安心しました」

と言う菅野さちこ氏の声は、まるで固い氷が春になって溶けていく様だった。


昨夜の厳しい表情の菅野さちこ氏が頭から離れない私も、共に氷が解ける思いだった。心の中が透けて見える様な人だ。相手の気持ちになれる人だ。この人は良い代議士になれるかも知れない。

最近流行りの、自らの損得を優先させる様な、国民に見放されている代議士諸氏の様ではなく、国民の気持ちに代わって議論する名士と言う意味での、真の代議士になれるかも知れない。




 自民党県連の手続きとして、役員会、選対委員会、総務会、議員会の手順を経て、平出県連幹事長が上京し、党本部の公認申請となった。

 

 菅野さちこ氏は昨夜一睡も出来ず、心配事と安心事が入り混じり疲れ切っていた。


「今夜7:00に予定している記者会見を延期したい」

という事態となった。


本人の体調が悪いと言うのも候補者としてはマイナスだし、昨夜のマスコミとの擦れ違いを考えると、さすがにこれ以上はマスコミを敵に回したくない。

何か良い方法は無いものかと考えている所に、東京にいる岩城県連会長から電話が入った。


「昨夜は、マスコミ対応が中途半端になってしまったので記者会見には私も出たい」

「いつなら福島に来れますか?」

「明日の午後なら行ける」


延期理由は岩城県連会長のスケジュールの都合によるという事で、マイナスイメージを受けることなく記者会見の延期が決まった。心身共に疲れきっている菅野さちこ氏を、しばしの間休ませる事が出来た。


記者会見を延期する代わりに、せめて、本人の写真をマスコミ各社に提出する事が出来た。本人の気に入り具合の確認に時間はかかったが、夕方のテレビに間に合うタイミングには、気をもんでいた記者達もホッとした様子だった。

 

今日一日、県庁での諸々の込み入った打合せは、自民党第三控室と言う2坪ほどの小部屋で行った。同僚議員も県職員もマスコミも出入りしている大部屋では、何かと集中できないのだった。


しかし、県庁の西側にそびえる吾妻山の山頂が冠雪し、この冬一番の冷え込みとなった今日、県庁の北側に位置する第三控室はとにかく寒い。私と先崎議員は車からコートを持って来て着込んだ。


今日は11月19日だが、県庁では12月から暖房を入れるのだそうだ。気温ではなく日付で暖を取るとは、お役所仕事の見本の様なものだ。アクション対効果で考えてもイカレている。この数日の数々のストレスを役所の体質にブツ ケてみた。




11月20日(火)

 

 菅野さちこ氏は今日から挨拶回りを始めた、秘書も運転手も何も無くてのスタートなので、岩城光英事務所の久保田秘書が同行してくれた。各所で激励を受けて菅野さちこ氏は元気が注入された感じだ。

 

 私は、不動産屋さんから、須賀川事務所として使えそうな候補物件を現地で説明を受け、自民党須賀川支部長の大内氏と共に今後の段取りを練った。常駐事務員を専業主婦の磯貝氏にお願いした。


午後からは、記者会見会場である福島市の自民党県連に入った。挨拶廻りから記者会見場に到着した菅野さちこ氏は、髪を少しワイルドに乱れさせ、挨拶回りの充実さをにじませていた。


記者からの質問に対する答弁、説明は、慣れていないせいも有りギコチなかったが、自分の想いの部分となると、さすがに教育者だ、信念が伝わる。リズム的には間延び感があったが、須賀川グランシアから逃亡した一昨日の夜に、伝えず仕舞いになってしまっていた事項をマスコミに伝える事が出来た。

 

 記者会見が終わり、岩城県連会長と菅野さちこ氏が退席しようとすると、菅野さちこ氏の周りにマスコミが集まり騒々しくなった。行ってみると吉田筆頭副幹事長が菅野さちこ氏を促して部屋の外に連れて行った。不満顔のマスコミ諸氏は私に言った。


「写真を撮らせないなんて有り得ない」

「昨日皆さんに渡したでしょう?」

「自社で撮った物を使いたい」

「今まで一日中挨拶回りをして髪振り乱した疲れた状態でなんて撮らせられない」

「記者会見と言って我々を呼んでおいてそれは無いでしょう?」

「撮らせないとは言ってない。さっきまで会見の様子を撮ってたでしょう?」

「あらためて撮るなら身だしなみを整えないとだめだ」


 

取材される側である、菅野さちこ氏の立場に立ってのマスコミとのやり取りは一昨日の再来だ。


私は記者会見とは、一定の場所に記者を集め、説明や質疑応答等により、情報を提供する事と、国語辞典的に解釈しているが、記者達にとって写真は当然セットだと言う。見解の相違だ。


ましてや自分の名前、選挙名等を走り書きしたボードを持たせられて、各社毎に写真を撮られる側は、まるで犯罪者扱いであり、極めて気分の悪いものである。


この様な、我々の様に何度も出馬している者にとっては、

「こんなものか、」

で済まされるものでも、初出馬の菅野さちこ氏にとって、精神的なショックは少しでも避けさせたいとの思いから、マスコミと菅野さちこ氏の間に割って入ったのだった。

とにもかくにも記者会見は無事に終わった。




自民党県連役員室に、森まさ子参議が激励に来てくれた。やはり女同士だ、我々男子相手の時よりも菅野さちこ氏の表情が豊かになった。森参議が、自らの初めての選挙である知事選出馬の時のエピソードを話してくれた。

「出馬したら死ぬ。」

と叫んだ親の話、そんな親に吉野正芳代議士が土下座して

「出馬させて下さい」

と言った話等々、聴いている菅野さちこ氏の顔が更に和んだ

「私よりも強烈ですね!」


 森参議の知事選出馬の際も、私は事務局的な仕事で携わった。当時の森候補者は遊説が終わるとホテルに入り、女性医師を呼んで点滴し、そのまま眠る毎日だった。点滴を終えて帰る女性医師をホテルのロビーで夜中まで待つ私、そんな姿が思い出された。


又戦おう、そして菅野さちこ氏を森参議の様な良い政治家に育てよう。