外務大臣挑んだ女 (2) | 菅野さち子 オフィシャルブログ「ふるさとを忘れず、ふるさとに寄り添い、ふるさとのために生きる」Powered by Ameba

外務大臣挑んだ女 (2)

11月18日(日)

午前10:00、事の成り行きを平出孝朗自民党県連幹事長に報告、今日の夕方の支部長幹事長会議で、我々選考委員会から菅野さちこ氏を選考したと報告、承認を頂き、明日党本部に公認申請するという段取りを確認した。


昨夜の打ち合わせ通りに、美容院とフォトスタジオに行っている菅野さちこ氏に連絡が取れ、夕方の会議に間に合う事が確認できた。


「一気に進む」


春に候補者選考委員会が出来てから、半年以上も決める事が出来なかった候補者が、本人の意思確認から20時間後には、最初の組織的な機関決定が出来ると言う早業だ。


我々3人の県議に県連職員4人も含めて、公示までのスケジュール、挨拶回り案、ポスター類、事務所設置、その他あらゆる事を、驚異的な集中力で進めた。候補者決定に至れる嬉しさで、我々の事務処理能力はいつもの数倍になっている実感が有った。


お昼に出前で取った日高食堂のネギ味噌ラーメンを完食した。あまりのプレッシャーから胃袋が縮んで居たこの数日で、初めて完食出来た食事だった。

しかし、ここで我々は、候補者決定迄のあまりの早さと、候補者が決定できるとの高揚感に隠れて、我々と菅野さちこ氏との間に、深い解釈の違いが生じていた事に気付く事が出来なかった。


 

候補者決定に至る最初の会議の会場は、須賀川グランシア、幻想的な「松明あかし」が行われる翠が丘公園の綺麗なライトアップの隣に建つ結婚式場である。



 午後4時からの岩城光英自民党県連会長と菅野さちこ氏の面談には、菅野さちこ氏から道路の渋滞で間に合わないという連絡が入り、4:30からの候補者選考委員会にも間に合わないという異常な状況の中、会議メンバーは、菅野さちこ氏のプロフィールと、代表で面会した我々3人の県議の説明により、菅野さちこ氏の選考について了解してくれた。

この了解を受けて、次に行われる支部長幹事長会議にて、我々候補者選考委員会から報告、提案をする訳である。

 

午後5:00からの支部長幹事長会議会場に向かう為、ホテル内廊下を移動する際、マスコミの数のあまりの多さに驚いた。今朝の朝刊では

「出馬打診の人物が立候補断念、県議から選出か」

と表現されていたので、候補者決定に向けての情報は誰も知らないはず。テレビカメラが入る事は想定していなかった。

 

会議の出席者は、28カ所ある自民党市町村支部の支部長と幹事長の対象者のうち約半数、いわゆる落下傘候補者の出馬が二回続き、両方共にトリプルスコアで負けている自民党地域支部幹部の無力感が表れているのだろう、それで出席者は30人、マスコミの数よりも出席者が少ないという状況だった。

 

 マスコミの食い付きの良さについて、私が想定外だったのだから、菅野さちこ氏はもっともっと面喰った事だろう、この24時間バタバタしていて、我々も雑な段取りになってしまっていたが、菅野さちこ氏の心中を深く察した。



 会議冒頭の岩城県連会長の挨拶の後に、マスコミの退席を願った。菅野さちこ氏の登場シーンをテレビにも写真にも撮られない様に、建物の外への退出を願ったのだ。

 我々は、立候補予定者となる菅野さちこ氏の姿をメディアに露出させて、戦略的に活用したいと考えていたのだが、菅野さちこ氏が


「今日は写真とテレビは勘弁願いたい」

という意向だったので、彼女の考えを優先し、彼女を守るのが我々の務めとの判断から、異例の会議スタイルとなったのだった。

 

 しかしマスコミは納得しない。会議場の外のエレベーターフロアで、建物の外に出ようとしない数十人のマスコミ各人と禅問答を繰り返した。


「プロフィールは渡す」

「開かれた公党としてその対応はおかしい」

「タイミングの問題だ」

「ぶら下がり(取材)はオッケーか?」

「岩城県連会長のぶら下がり(取材)を行う」

「本人は映りたがっていない」

「報道の自由だ」

「取材される側の権利を考えた事があるのか?」


そうこうしているうちに、従業員通路を通って菅野さちこ氏が会議室に入場していた。


絶妙の連係プレイの後、私は、マスコミ各人をエレベーターフロアに残し、会議室の司会席に戻り、会議を続行させた。

 

 掃除のおばちゃんから、地域を代表し得る輝く教育者に変わっていた菅野さちこ氏が、今日は候補者の顔になっていた。薄いピンクのスーツが聖母を思わせる。菅野さちこ氏は、会議出席者から、立候補予定者として承認を頂いた。


菅野さちこ氏が会議出席者と固い握手を交わし、従業員通路を使ったマスコミスルーで控室に戻った。これからは、今夜のうちに今後のスケジュールなどを説明し、選挙への体制を固めなければならない、賽は投げられた。



 岩城県連会長と菅野さちこ氏に30分遅れて控室に入ると、二人は熱い政策議論の最中だった。菅野さちこ氏のその表情は、まさに政治家に向いていると思った。


しかし、向き不向きとは無関係に、目の前の課題は待ったなしだった。私は、マスコミから急かされている、今夜中のプロフィールと写真の公表、ぶら下がり取材の可否について、菅野さちこ氏に確認をしなければならなった。


恐らくテレビで、菅野さちこ出馬のニュースが流れたのだろう。彼女の二台の携帯電話が鳴りっ放しとなった。実は今日の夕方までに終える段取りだった、関係者への出馬周知が中途半端だったのだ。


「突然に何なんだ?」

「相談もなしに」

「出馬なんてやめろ」


数時間の間、同じ内容の電話に同じ説明をし続け、菅野さちこ氏もさすがに疲れていた。私の役割である、プロフィールと写真の公表、ぶら下がり取材の可否の確認を行うタイミングなど計れないまま、マスコミ各人は廊下で待ち続けている。


「講師をしている湯本高校の校長には、明日の朝に説明しようとしていたのだが、テレビに出たと言う事は、順番が逆となり取り返しがつかない」


人としての筋違いを行ってしまうと、菅野さちこ氏が深く沈んでいる所に、身内・知人からのクレーム電話が続く、脇の席にいた私は、電話の先の何人かに対し、事の成り行き、今後のスケジュール見込み等について説明させて頂いた。


「会議に出るとは聞いていたが、今夜のテレビに出るとも、明日の朝刊に写真が載るとも聞いていない」

「昨日の今日という限られたわずかな時間で、関係者への出馬周知など出来る訳が無い」

「too tight」

さすがに英語の講師だ、興奮すると思わず英語が出る。

 

 申し訳ない位、菅野さちこ氏を苦しめた長い時間の後、明日の朝一番で、湯本高校の校長に説明に行く事、説明には満山県議と湯本高校同窓会長である矢吹県議が同席する事、今夜のマスコミへの、プロフィールと写真の公表と、ぶら下がり取材は断る事を決めた。

 しかし控室の外には、まだ数十人のマスコミ各人が、本人のコメントと写真を撮る為に待ち続けている、菅野さちこ氏はトイレにも行けないままだった、強行突破を決めた。



 従業員の通用道、調理場等を通り抜けさせてもらい三階から一階の裏口へ辿り着いた。マスコミ各人には不義理となったが、本人の意向を最優先させて頂く事が出来た。待ちに待った挙句、取材対象者に逃げられたマスコミ氏が上司らしき相手に電話していた。


絵もコメントも取れませんでした。裏口から逃亡されました。これはもう選挙取材じゃないっすよ。事件取材っすよ」

会議会場のスタッフには心から感謝したいが、マスコミ各人には申し訳ない事をした。



鳴り続いたクレーム電話の最後に話した菅野さちこ氏の長女が

「私は出馬に反対だけど、お母さんは体に気をつけてね」

と言ってくれたんだ、と教えてくれた菅野さちこ氏の目は、今夜で一番うるんでいた。

家族の複雑な心境にも申し訳なかったと思う。