外務大臣に挑んだ女 | 菅野さち子 オフィシャルブログ「ふるさとを忘れず、ふるさとに寄り添い、ふるさとのために生きる」Powered by Ameba

外務大臣に挑んだ女

衆議院の立候補から当選までの記録の日記を一県議が書いて残していてくれた。記録書として昨年の暮に出版した。下記にその記録を少しずつ掲載します。



衆議院議員として1年を迎えた。立候補から当選まで26日間。高校の英語の常勤講師が代議士になることを信じた人はおそらくほんの一握りであっただろう。



前民主党政権下で起きた東日本大震災、東京電力福島第1原子力発電所の事故。決められない政治の中、福島が、日本がおかしくなった。自民党でなければこの国難を解決することはできない。

なんとしても自民党が復活して、このガタガタになってしまった日本を取り戻していかなければ日本が崩れてしまう。あせる気持ちで候補者があがるのを待っていた。前選挙を戦ってくださった代議士事務所に電話をしたこともある。



そんな中、柏市で市会議員をしている若い市議の名前があがった。よし!これで決まった。ところが家族の反対で最終発表には到らない。



福島第三選挙区支部は長いこと民主党議員の一人勝ちであった。自民党不在の期間が16年間に及ぶ、だれも好んで立つ人はいない。それであるなら、1%の可能性があるなら自分が立候補します!と手を挙げた。あの時の思いは、新島八重、ジャンヌダルク、サッチャー女史3人の魂をひとつにしなければ無理であった。



しかし、家族の理解もまだ得ていない、勤めていた高校の校長先生にも話していない状況の中、候補者として名前がマスコミに載ってしまう。決断するには時間が無さ過ぎた。家族の反対、教育者としての責任、苦渋の選択であった。


あの時、もし、立候補を辞退していたら、死ぬときに「なぜお前はあの時に断ったのか」と自分が自分を責めるであろうと思った。そして、決断した。選挙の結果、比例で復活当選した。

応援して下さった議員の先生にお礼に伺った際「先生!これは天命です。大変でしょうが、福島の為にがんばってください。応援します」といってくださった。



当選するまでにどれだけの方々の思いと応援があったのか。立候補から当選まで、そして議員になってからも温かくご指導いただいている岩城先生を始め諸先生方、県連、県議、自民党員として応援してくださった方々、私の当選を願って一生懸命応援してくださった多くの市民の方々。


26日間の戦いの中で4万8,796票が多いのか少ないのかは分からない。ただ5万人近くの方が菅野さちこという名前も人物も分からない者を代議士として選んでくださったことに対して感謝以外に言葉が見つからない。間もなく1年が経つ。





立候補から当選までの26日間を厳しく、そして温かく応援してくれた一人の県議の記録がある。当時のことをもう一度読み返し、初心に帰り、これからも福島の為、日本の為に政治家として「天命」という言葉の意味をかみ締めながら、がんばっていきたい。






2013年(平成25年)12月9日    

 衆議院議員   菅野さちこ






























タイトル「外務大臣に挑んだ女」