自分自身のこと | 菅野さち子 オフィシャルブログ「ふるさとを忘れず、ふるさとに寄り添い、ふるさとのために生きる」Powered by Ameba

自分自身のこと

私が生まれたのは福島県田村郡小野町というあぶくま山系の片田舎。人口1万ほどの小さな町。それでも当時は八幡製鉄所の支所があって田舎の中でもわりと豊かな方であった。





父は若くして父親と兄を亡くしていたので、2人の妹をみる為、東京から帰って商売を始めた。当時は随分苦労したようである。





私は1才半のときに曾祖母に連れられて遊びに行った親戚のいろりに入ってしまい、野口英世のように左手にやけどを負った。母は私を障害児としてではなく健常児として育てたので、台所仕事、店の手伝い、配達を手伝わされた。


当時は10歳年上のうめちゃんというお手伝いの人がいて姉のような存在で、これまた厳しく私に接した。学校から泣いて帰ってきたときは、「泣いてないでやられたらやり返せ!」といつも怒られていた。





私は幸いなことに小さいころからひどいいじめにあった経験は無い。


「さっちゃんをいじめるなら私達がゆるさない!」私のまわりに友達の輪ができて、いつも守ってもらっていた。いま思いだしても本当にありがたいことである。





当時もいじめはあった。でも、けんかしたりしながらも、クラスはなんとなくまとまって球技大会で優勝したり、深刻ないじめにはならなかった。





学級には耳が聞こえない、体が不自由な障害をもった同級生もいた。彼ら彼女達は走るのが速かったり、絵がものすごく上手かったり、それぞれの才能を学級のみんなが認めていたように思う。だから、その友達をけなすようなことや、邪魔者にしたりもしなかった。健常者も障害者も同じクラスで級友としてやっていた。懐かしい思い出の一こまである。





                   2013年8月3日  菅野さちこ 書