今の私、へこみっぱなしです。
何ともないふりをすることも結構大変です。
幼いころから、この「何ともないふり」はできていましたが、時に抱えきれなくって爆発!!ってこともありました。
さて、このへこみの原因は「不採用通知」です。
面接に行き、5~10分ほどの会話で分かります「あ、ダメだな」って。
原因は私にあります。
とにかくいらないことまで話してしまう癖があります。
面接官が望んでいる内容を的確にというか端的に話せばいいのですが…。
私という一人の人間を認めてほしくて、つい話しすぎてしまうのです。
今、休みなく動き回っているのも、一つには私という存在価値を自分で確かめたいからなのです。
それでもさすがに先月体調面でマズイなと思い、副業は半分に控えましたが。
でも、今日は来月のシフトの願いを出さなくてはならなくって。
以前マネージャーに「夜まで残ることは可能なの?」と聞かれたのです。
もちろん、時間的には全く問題はないのですが、さすがに通常のことをやった後にさらに残って、トータル10時間勤務ってのも、次の日の本業に響くのでなぁと。
で、偶然にも唯一仲良くなった人から、夕方だけの勤務もあると聞き、今日マネージャーと話をしてきました。
来月は、本業のお休み時はほとんどを副業に充てています。
もちろん、私が研修やお出かけが確定しているものに関してはお休みにしてあります。
でも、今月よりも本業の休みの時に行く率が高く、さらに本業が終わってから副業先で3時間余分に働くわけで。
毎日ではないのですがね。
で、マネージャーにこの週とこの週だったら毎日は無理だけど、誰も来ない日があるのならということを話しておき、責任者と相談するということで。
正直こんな無理やり仕事しても大丈夫なの、私?って思っています。
それは、一人で過ごすことが辛いから。
そして、誰かに必要とされていたいから、たとえ数時間でも。
もちろん相手ががたは「ラッキー」という気持ちでいるでしょうね。
さて、今の私は福祉の世界に重きを置いているのですが、いかんせん何がしたいっていう具体性はあまりないですね。
もし転職したら、今の本業に副業を足した手取り額であるのです。
これで土曜日と日曜日、または変則的に週休2日または30時間労働の条件であれば週4日勤務だったり。
こんな風な勤務であるのは、体調面で本当に助かります。
今、一応年金を受給できていますが、次の診断書提出は2年後。
今の主治医だから、年金がもらえていると思うのです。
しかしこの主治医の来月末で退職。
次の主治医に当たる人が、どのくらい私の今までの経緯と家庭事情を鑑みて、年金や手帳の診断書が書けるのか。
そう思うと、働けるうちに働くしかありません。
別に生活保護でも構わないですけどね、最終的には。
世の中には、こういった困窮者があふれかえっているっていう現状を、案外知らないんです。
私にしかり、見た目普通に見えますからね。
そんな家庭の事情とかで生活困窮者だとはだれも思わないだろうですから…。
そうそう、人に認められた記憶があまりありません。
自分が懸命に頑張っても、無視するわけじゃないけどさらっと「できて当たり前、あなたなら」みたいな感じなんです。
ありえないのにな…。
私、結構頑張ってるから、これだけできるんですよ。
そして、もう一つは、人を信じることができるようにとお付き合いしていますが、その方に見透かされているのか、はたまた私のこうしたゆがんだ思考を変えようとしているのかは謎。
その人は私から何かしら連絡しないと会えないし電話もメールもありません。
ちなみにあちらからこの日会えないかな?なんて言うことはほとんどありません。
あちらの気遣いかもしれませんが。
だから、この方と距離を開けられるものであれば開けるようにしようと頑張っています。
向こうから連絡があれば、私の時間など都合がつけばその方のご意向に沿います。
けど、私からはもう何も発信しないように頑張る気持ちでいます。
守れるのかはわかりません。
けど、そうやってあえて距離をあけてもわたしの意向にそっていると勘違いして、そのまま距離をあけっぱなしにするでしょう。
そういう気持ちもあり、今回のように自暴自棄的に来月の副業の勤務を入れているのです。
つまり、一人時間を作らないようにするため。
認めてほしい、そういう気持ちがやがて「生きたくない、息すら吸うのが辛い」ってなるのです。
副業をしていて、そんな妄想でいっぱいになりながらこなしていました。
副業の方も、私は割ときれいにマニュアル通りにはできていると思いますが、なんせほかの方より若干時間がかかることも、なんとなくこの副業先に悪いなぁと思ってしまうのです。
私なんてなんで産んでくれたんだろう・・。
母親だって小さなころから病気ばかりでしかもかんしゃく持ちだった私にはほとほと苦労しただろうと思います。
けど、病気になるたびに母には迷惑かけまいとこらえちゃうから、こらえきれずにかんしゃくを起こす。
私が出産するときにはそばにいてくれ、しかも出産後も父が倒れるまで娘の面倒を一緒に観てくれていました。
だから、まったく母親として失格なわけではないのです、私の母は。
しかし、幼い時の記憶というもの消えたかのように思っていましたが、奥底に眠っていて、何重にも蓋が閉められて空かないように、しかも私から見えないようになっていただけだったんです。
今さら高齢の母親をってみなさん思うと思います。
しかし、数年前に20キロ台まで痩せ赤ちゃん返りした私に母親がとった言動は、幼い記憶を噴出させました。
「やっぱり私は認めてもらうことはできないんだ…」
唯一私を認めてくれる人、それは主人だと思います。
しかし、認めるというよりも、私という存在を自分の思うがままにしたいというのが根底にあり(気づいてはいないようですが)、支配と私をコントロールするいう形で成り立っていました。
いわゆる洗脳とかモラハラという感じでしょうか。
何度も逃げては、やはり彼がいないととか彼は本当はいい人なのだということで戻っていってしまっていた私。
結局、認めることでコントロール下に置かれることにいい加減自分でどうにかするべきと判断して、今一人で頑張るしかないといった感じです。
人を認めるって、どんなことなんでしょうね…。
私は、相手の都合よく動くこと、それが「認めてもらっている」につながっています。
これって・・・。
本当の認めるじゃないってわかっています。
けど、こうでもしないと全くできないんです、私。
そんな人生、もう本当にやめにしたい。
生きる意味も何にも分からない。
私がもしいなくなったら、誰か悲しむ?辛くなる?
単に一人の人間がこの世からいなくなった、ただそれだけじゃないのかな。
そう思うようにすれば、人から認めてもらおうなんて言う気持ちが少しはやわらぐのかなぁ…。