物事、考えすぎはよくありません。

けどね、もうこの思考はものごころついたときからで。

抜け出てこようにもにもうまく抜け出ることのできない変な呪縛にかかっている感じなんです。

ちょっとずつ解放しているなって感覚はあるのですが…。

 

世の中淡々と生きている人っていますよね。

こういう人って、喜怒哀楽があまり激しくないんですよ。

なんとなく笑ってる?なんとなく悲しんでる?なんとなく怒りたくなってる?

そう問いかけたくなる人たち。

私は逆に割と喜怒哀楽はしっかりあると思います。

見たまんま(苦笑)。

けど、そんな私でもごまかした喜怒哀楽をすることは多々あるんですよ。

 

ってね、結局喜怒哀楽を表現しちゃうっていう時点で「淡々と」といった感じに見えないですよねって言いたいのです。

 

どっちかといえば刺激がある生活を好むタイプです、私。

けど、そんな来る日も来る日も刺激ばっかりは疲れるんですよ。

そういった疲れの時にふと浮かぶワード=「淡々と」なのです。

 

あー、私には一生無理なのかな、この「淡々と生きる」ってこと。

 

だから疲れちゃう。

そして息を吸いたくないくらいに消えたい願望が出てくる。

この世にいたってことを消したくなる。

 

いかに自分という存在を肯定できていないか。

そんな私が援助職をしていいのか???

まぁ、私自身援助とか支援って言葉自体好きじゃないので、自分が援助者とか支援者と思えていないし、思えないんですよ。

今でも助けてもらってる方が圧倒的に多いですから、周りの人たちから。

よくね「自分に優しくできない人は人にも優しくできない」って言葉あるけど、今はちょっと理解できるようにはなったんです。

けど、頭でわかっているってことと、本当にこれができる人っていうのは違うわけです。

私は前者。

つまり「頭ではわかっている」なのです。

ということは、人にも優しくできない人なのです。

ヘンな三段論法ですね(苦笑)。

 

まぁ、淡々と生きられないから、時間をつぶすために突っ走る。

こういう生き方しかできない自分はどうなんだ?!と思うのですけど、誰かが「こうすれば淡々と生きることができるんだよ」万ていうマニュアルを作ってくれれば。

ってか、そんなマニュアルあったら、ものすごく世の中怖くなっちゃいそうですね。

 

あー、明日はWワークを休みにしていたのですが予定がなんだか宙ぶらりんになっちゃっていますので、それなら仕事するか!!と、夕方急遽Wワークのマネージャーに連絡。

むっちゃ喜んでくれました。

そんな大した仕事できないんですけど、けど、それなりに重宝がられているうちはいいかな、って割り切って明日仕事行ってきます。

 

あー、淡々と生きている人だと、こんなふうに仕事を休みにしているのなら、予定がなくなっちゃっても休みのままにしているんだろうな…。