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昨日の夜行バスで金沢駅へ来ました。

 

まずは腹ごしらえです。
なぜか金沢に白えび天ぷらのおそばあるの?
確か富山では?
 
そして歩いて会場に向かいました。
事前にご連絡いただき、以前から数回やりとりのある方と会場時間前にお会いすることにしていました。
けど、あまりにも早くに着いてしまい、ロビーで本読んで待っていました。
 
私ごときが支援というふうにはできませんが、今までの話から今日までの間で、どのようなことが起きているのかをお聞きしました。
そこで、この先についての方向性を決めていきました。
決めたことを実際にやるためにはかなりの負担と苦労を伴うことも、あえて承知していただき、なるべく決めたことをやってみますと言ってくださりました。
摂食障害に限らず、今の精神的な分野の社会的アプローチがあまりにもなく、家族が大半を支えなくてはならない現実。
この場面でもその状況は浮き彫りとなっていて…。
けど、摂食障害の場合は完治という例もたくさんあります。
そこには当事者である本人の成長過程のゆがみ、思考のゆがみ、そして親やお友達などを含めたその方のバックボーンとのかかわり合い方の見直し。
それらが何かの拍子でいい方向に回りだしたら、とっても早いのです、治るまでの期間が。
これらは私の経験値でものを言っていますので、あくまでも参考程度ですが…。
 
さて、今回の本命というべき当事者さんたちの会に参加をさせていただきました。
平日ということだからか、参加されていた方々の年齢層は世間でいう「成人」でした。
今回の良かった点は、摂食障害に限らない人も参加できたことです。
生きるという意味に苦しみを持ち、こういう場で自分を癒してまた元の生活に戻っていく。
摂食障害も、ただ単に過食と課虚飾とかっていうのは症状であり、その根っこにあるのは生きるということに葛藤し、辛さを感じていて、やり場がないから症状として逃しているのです。
今回は、遅刻して(おそらく親さんと思われる)ノックして入ろうとしたのですが「先ほどご連絡くださりありがとうございました。今日はご本人の会ですので入室はご遠慮しています。ちなみにご本人は?」親らしき人が「今トイレに行ってそれからこっち来られないような感じなのです」と。
初めての方だったのでしょうか?親らしき方にパンフレット等をお渡しし「ご本人が入室できそうでしたらいつでもどうぞ」と。
この場面でも、きちんと当事者の安全や安心の確保というものをしっかりとってみえていて、大変参考になりました。
こちらの会は、前回親さんの会に参加させていただいたのですが、この場面でも、キッチンタイマーを使い、一人何分というのを決め、順番に話していくのです。
もちろんまったくパスしてもよし、決められた時間を多少超えてもよし、時間を使い切れていなくてもよし、話が途切れて「うーん」と考えちゃってもよし。
もちろん、ルールとして時間の設定の中での会話としてキッチンタイマーを使っていますので、そこで話が長くなりそうであれば、集まっている皆さんに「もう少しだけいいですか?」とたずねてくれます。
もちろんOKっていう前提で行っているのは集まったみなさん承知です。
けど、社会性をつける意味においてもこういったちょっとした一言ってとっても大事だと感じたのです。
逆に「今はパスしたい」って言えることも、安心できる場だからこそ言えるのですし、こういう経験をして、みんなが「赦し」というものを覚え「パスしたい」というご本人もきちんと自分の意思を言うことに対しての怖さをなくす、本当に些細ではあるのですが、これ非常に摂食障害や生きづらさを日ごろから感じている方にはとってもいいことだと実感しました。
 
みんなが「赦し」をすることで自分自身に対しても「赦し」をしていいのだと経験できる場。
摂食障害の方はほとんどの方が自分に大変ストイックなのです。
だから他人を「赦せて」も、自分自身に対しては「こんなふうじゃまだ駄目だ」と「赦せない」のです。
「赦す」=「甘え、わがまま、人に迷惑をかけることにつながる」
そんな風なとらえ方というのでしょうか…。
それが、今回の場だけでも参加された皆さんはきっと他人を赦すことと同じくらいに自分への赦しを体験されたのではないかと感じています。
それはこの場が「安心・安全」な場所だから。
 
今回の現場にて、本当に学びを得られたと実感しました。
これを生かしたい、ぜひ!!