今の私の気持ちを表現したタイトルです。

 

私は自分で道を決めることができませんでした。

というのか、人の意見で決めていたという方が正解かなと。

高校に入学するときも。

別にどこの学校に入りたいというわけではなく。

ただ担任に言われた学校の一つに決めただけ。

理由は就職でも進学でもどちらにも転べること、男女共学なところ、これだけ。

でも、大学進学、しかも貧乏だったから国公立進学を夢見てはいました。

職業系の高校へ入学し、なぜか進学クラスに入り、自分のあまりの出来の悪さと超貧乏な我が家に進学という道は無理と判断して。

高校2年からの担任は私の性格を見抜いていました。

「この大学(国公立)に推薦で行ったらどう?」「私は教員にはなれない、ムリです」「じゃぁ、公務員は?」

その言葉で、あっさりと公務員試験を受ける決意をしました。

理由は虚弱体質な私でも何とか務められるだろうということ、もし不況になったとしても安定しているであろうと思うこと(この当時はまだバブルの最終期でした)、福利厚生がしっかりしていること。

つまり安定志向なところであれば、食うに困ることはないと思ったのです。

一応親はなけなしのお金で公務員予備校へ行かせてくれました。

そのかいあって、いくつかの公務員試験に合格し内定通知をいただけて。

2年からの担任と相談し、女の子だからあまり転々(いわゆる各地に飛ばされる)としないことがいいのではないかと一つのところに決め、あとの内定は辞退書を書いて。

 

無事に公務員となり、最初の配属先はなぜか成績優秀な人が行くようなところ。

歓迎会の席で上司になぜここに配属されたのか聞くと「どうやら君はあの時の面接官が「笑顔がよい」みたいな感じでえらく気に入って印象に残っていたからみたいだ」と。

自分のこの試験の成績は知っていましたので、なるほど成績がそんなにいいわけではないのに配属されたのはそういうことだったのかと。

 

その当時付き合っていた人(主人)とは別れて同期と付き合おうとしたら、別れるように相手を半ば脅して。

そんなところを見たら怖くって、この人と一緒にいなければと変な気持ちで結婚して。

結婚式など、主人の親の半ば言いなりに近い状態で。

まぁこのころは何にもそういった常識というやつが分かっていなかったので、従っておけば楽かなくらいにしか考えていませんでした。

本当なら席入れてお互いの家族で会食程度と思っていたら、披露宴やら式やら、しかも住まいまで決まっていて。

もうこのころは、主人に気持ちはなく、ただ子どもが欲しいから、それだけ。

とにかく安い住宅を探して引っ越しをしました。

娘がおなかに宿ったことがわかってからは本当に生まれてくるまで毎日毎日が楽しくって仕方のない日々でした。

早くこの子に会いたい、それだけ。

でも、子育ては結構大変で、しかも頼れるはずの親は生死をさまようようなことになり、一命をとりとめたけど介護が必要な人となり。

結局は嫌々主人の親を頼らざるを得ないことに。

そのころ本当に親のことに仕事の忙しさ、子どもが小さいことなどなど、あまりにもいろいろありすぎてパンク。

ウツになって、しかもクリニックの先生が休めという言葉を振り切ったがために重症化。

やがて入退院を何度繰り返したか。

摂食障害を併発。

もちろん、何度か入退院。

 

いろいろと長きにわたりこういった病気を抱えながら働いてはつぶれを繰り返し、自分にやりきれなくって。

 

そして、昨年、意を決して家を出ました。

東京での就職。

しかし、すぐにパワハラでつぶされるし、主人は警察にお世話になるし。

モラハラでずっと苦しんできた主人から逃げたはずなのに、主人のもとへまた帰る私。

けど、もう本当に主人という存在が目の前にいることで苦しくて、実家へ逃げました。

本当は実家にも行きたくなかった。

母との確執があるから。

母はどう思っているのか、聞いてももうどうにもならないから、私が自分自身をコントロールしていけばいいと。

人を変えることはできないから、私が変わればいいと。

 

カウンセラーに今の経営者さんを紹介されて、東京都下へ行ってきなさいとの言葉に、東京へ出る決心をしたのですが、地元へ戻るころに「うちで働けば?人が足りなくなったから」と声掛けがあり。

経営者さんは、自分の母よりも母親らしい存在で、この人がいなかったらここまで私は前へ進める力をつけることはできませんでした。

もう一つは、やはり東京というところでいろんな人との出会いがあり、いろんな経験をさせてもらい。

こっちに帰ってきてからは、とにかく前へ進むことしかないと。

後ろへ振り返っても、それは反省するためであり、後悔のためじゃない、そう言い聞かせてひたすら突っ走る決心をしました。

そしてもう一つ、私は50代でポクッと逝く、その気持ちが強くなっていきました。

父のように何度も三途の川を私損ねてこの世に戻り、人の力なしでは生きられない人にはなりたくないのです。

また、幼いときから私という存在はこの世にはいてはいけないと思い続け、今でもその気持ちは変わることはありません。

消えること、みんなの記憶から。

できればこの世に存在すらしていない、そういう人間でいたいのです。

 

じゃぁ、とにかく息が絶えるまで突っ走っていこうと。

ひたすら前へいこうと。

今はありがたいことに、私の周りの人がいい人ばかりです。

ときには叱ったり、私に対してイヤミなジョークも言いますが、それは「愛情」というのかお互いに「信頼の関係」があるからこそかなと思っています。

つかず離れず。

けど、たがいに何となく気にはしている。

何かの情報を発信し、受け取り、私の情報を発信し受け取ってくれる。

そのほかにも、本当に今の私の人間関係はいいものであると感じるので、安心して突っ走れますし、前へいくことができます。

 

過去の私がもしウツにも摂食障害にもなっていなければ、こうしたことはできないというか気づきもしなかったと思います。

とっても時間がかかり遠回りしてしまって、年齢ばかりが上がっていってしまったけど、この苦労は今となってはいい経験です。

だからこそ、前へいく力となっているのです。

もちろん、堕ちるときもよくありますよ。

けどね、また前へ向かっていくのですよ、知らないうちに。

ようやく大人になれた私です。