こんな重たい話を書いていいものか迷いましたが…。

 

私は「生きる」っていまだにわかりません。

それに気づいたのは4歳くらいかな、おそらく。

小学校に入るころには、すでに自分という存在がないような(誰からも認められていない)感覚を持っていました。

 

今でも、たくさんの人たちと出会い、私は人徳な方だと思います。

けど、空気を吸っていることも面倒って思っています。

「死」。

別に自分から「死」を選ぶことはしようと思っていないですけど。

けど、この4歳くらいから「消えてなくなりたい」は常にあります。

そして、私という存在は世界中のだれもが知らなかったこととしたいのです。

 

私はよく離人症を起こしていました。

小学生のころからかな、たぶん。

けどそのころは、離人症なんて言う現象は知らないから「変な感覚」を毎日とまではいわないものの、しょっちゅう起こしていました。

今でも時折やってきます。

いわゆる幽体離脱っぽいと言えば、なんとなく感覚が分かるでしょうか?

ただ、小中学生のころに比べれば数段減っていますが…。

 

私はここ数年、「50歳代でぽっくりと」と話しています。

まぁ、受け手に冗談気に話しますが、いたって私は本気です。

今でもそう思うのです。

やりたいことなどは、元気になってきていっぱいありますよ。

けど、やりたいことなどが叶わなくってもその過程の途中でそういう状況になっても構いません。

そういう状況になったら、だれからも私という存在は全くなかったことにならないかなという願いも捨てていません。

 

ただただ「死」という瞬間を毎日待っています。

できるだけ苦しまずに。

 

よく「生きているだけで」なんて言う言葉、ありますよね。

私も使っちゃったりしますけど、私が逆にそういう言葉が消されたら、笑顔でいても腹の中では「生きているだけで?それで何かあるわけ?」って思っちゃうんですよね。

 

そりゃ生んでくれた、育ててくれた人たちには感謝しています。

私と出会ったすべての人にも感謝しています。

しかし、感謝しているっていうことと、その人たちとつながっていたいというのは別物。

とにかく私が「死」ということになったら、その人たちから私を消したいのです。

 

誰かに愛されたいとも思っていません。

誰かから必要にされたいと思っていません。

ひたすら生きようと思っていません。

 

先ほども書いたように、息を吸う、それだけでも苦痛なのです。

息を吸うってことは、生きているってことだから。

 

そうそう、子どものころ、どうしても難病になったり瀕死に近い事故などにあいたい、なりたいと思っていました。

だって「死」に近づけるから。

自分の力で「死」を選ぶことができなくって、他力本願で「死」を選ぶには、これが一番手っ取り早いですから。

 

別にね、私人生を捨て鉢にしようという気持ちじゃないんですよ。

自暴自棄とかっていうことでもないですよ。

昔っから「生きたくない」、ただそれだけなのです。