年が明けました。
今日は何もせず、ただ、居候している実家で過ごしていました。
自分の病気と向き合ってきて、もう何年経つのでしょうか。
昨年から摂食障害による過食嘔吐は息をひそめています。
しかし、ウツ症状は出ては治まりの繰り返し。
自覚しながら昨年1年、乗り切りました。
しかし、また摂食障害が顔を出してくるか、怖さまではないものの、「治った!」という自信はいまだありません。
昨年一年、振り返ってみて、今日の気づきです。
自分一人では無理ですが、いろんな人に知恵を借り、頼りながらも、自分の足で歩いていっているなという実感を感じ始めています。
それは、自分のできることとできないことがちゃんとわかったこと。
できないことを素直に認められるようになったこと。
人に頼ることも必要だと気づいたこと。
自分で決断してもいいとわかったことと。
そこには自分で何もかも責任が生じること、そしてその責任を責任転嫁しないこと。
人に変わってほしいと思うのなら、自分が変わろうと努力すること。
そして、これが一番大きいことですが、自分のすべてを否定も肯定もしないで、まずは認めること。
昨年「場づくりクラス」で出会った仲間がひらいた集まりに年末に参加しました。
そこで私の中でそっか!!と思った言葉
「二人で乗っていた船が沈みお互いに溺れました。そのとき相手を助けたいと思うのなら、まずは自分が助かりなさい。そうじゃなければ、相手を助けることはできないのです。」
今の私の一番の名言となっています。
自分のことが大切に思えなければ、私にかかわるすべての人を大切に思えないのだと。
私は今まで、相手に尽くすことで自分が大切にされるものと信じて疑いませんでした。
もちろん、今でもその気持ちはあります。
けど、相手に尽くすっていうことって、相手が尽くしてほしいというものが何かわからなければ、相手にとっては尽くしてもらえたとは思えないですよね。
つまり、自分が勝手に思い込んでいる「相手への思い」でしかないのです。
そんな風に42年間過ごしてきた私にとって、自分を大切に思うことは非常に難しいです。
だけど、自分というものがあって、はじめて周りが見えてくるように感じ始めています。
もちろん、過大に自分を表現するとかっていう意味ではありません。
「私ってこれでいいのだよね」
そう問いかけています。
もちろん、毎日がいい風に事が運ぶわけじゃありません。
失敗もたくさんあります。
けど、その失敗も「自分ってこうなんだよね、いつも」と問いかけまずは赦しています。
そのあとで「じゃ、こうしてみようかな」と意識を違うところに変えてみています。
失敗してみて初めて自分がよくわかり、そして何度も繰り返すうちに偶然うまくいくこともあるのです。
いや、偶然じゃないときもあります。
この体験の積み重ねが、私という一人の「人」としての年輪を作っていくのだと。
自分の中で対峙しなくてはと思うことがまだまだありますが、こうした年輪を作ることで少しずつ対峙できるのかなと。
今年は一つ大きな目標があります。
それには、たくさんの人たちに支えてもらう必要があります。
そして、自分の今までの年輪の重なりを確認し、日々勉強していく必要があります。
その目標には、様々な分野を見聞きしておいてもいいと思います。
そうすればたくさんの幅の中で選ぶことができます。
正直30代でこのことに気づき、こうした目標を掲げられたらよかったのになと、昨年思うことがよくありました。
けど、年の後半になり、今でよかったのかなと思い始めています。
いや、今じゃなきゃ無理だったのかなとも思っています。
年の初め、今まで大きな目標は立てませんでした。
いつもある程度時間が経ってきてから、目標らしきものが見えてくる感じでした。
今年はこの目標に向かっていこうと思います。
ただ、この目標がずべてかなえられるとは思っていませんし、そんな強引に事を進めるつもりはありません。
今年最後に、この目標のうちどこまで頑張れたかなと、振り返ることができればいいのだと思っています。