「10月16日の日曜日、受けている研修の実体験(イベント)が終わったら夜ご飯でもどう?」と、娘に事前にメールしたら、いいよと。

    終了後、駅に向かう途中で、娘に待ち合わせる時間と場所をメールでやりとりし、久々に娘に会いました。
    娘が教えてくれた中華料理屋さんへ行くことに。
    お店で料理を待つ間に、私ってパニック症かなぁと。
    なんで?と聞くと、今やっているバイトで時折わあっと焦ったり真っ白になってきちんと教えてもらったことができないからと。
    もう少し詳しく聞いて私は「まだこのバイトやりはじめてから、2ヶ月くらいしか経っていないしお客さんが一気にきたらお母さんでもテンパるからそれはパニックではなく誰にでもおきることだと思うけどなぁ」と。
    すると、どんどん娘の苦悩を話しはじめました。
    変な夢を見る、感情の波が激しい、部活で泣き出してしまい今日もそうなった、自分は彼といるのはふさわしくないと思いつめてしまい何度か私と別れた方がいいと言ってしまう、食べられないし誰かといればまだ普通の食事はできるけど、などなど…。
    話を聞いていて、娘の苦悩の大きなポイントは3つあるけど(本当はもっとポイントはありますが)自分でわかる?と聞くと、なんとなくと。
    「1つ目にはゼミのことや大学の授業、2つ目には今のバイト、3つ目にはお父さん(私の主人)とお母さんは感じたんだけど?」と娘に話しました。
    この3つ目のお父さんという理由は、娘が周りの人とどういうコミュニケーションを取ればいいのかわからくて自分の気持ちを素直に話せないし伝え方がわからないといったことや、なんとか一人で乗り越えなければみたいな感情が私からは手に取るように見えていて、今までずっとお父さんの指揮でしか動くことができなかった娘が、一人暮らしになり、保護もしてもらってはいたけど主人の言いなりで過ごした18年間の知らない間に封じ込めてしまった感情があふれかえってどうにもならなくなった状態が、感情の波が激しくなり、娘が混乱し、今の状況全てに対応できなくなってしまったのだとすぐにわかりました。
 また、主人がこの6月に起こした大きな出来事で、本来なら私と主人とで解決の方向をやり取りしなければならないはずが、娘まで巻き込まれてしまい、一人暮らしをしてちょっとずつ開き始めた抑えられた感情が、一気に噴出せざるを得なくなったとも感じました。
    だからといって私が、3つ目の事が1つ目や2つ目のポイントの元凶と言うことは避けました。
    「さすがにお母さんも3つの大きなポイントをいっぺんには片付けられないから、お母さんならひとつずつ片付けようとするけどね」と話し、娘に今この3つのポイントで一番片付けたいまたは今一番片付けられそうなものはどれだと思う?と聞いてみました。
    すると、学校のゼミだと。
  娘としては「どうしても4年で頑張って卒業したい、できれば長期欠席休学はしたくない」と話しましたので、まずは様子を見ることにしました。
 その代わり、娘には「今日以降もこういうことが起きたら、彼でもいいし友達でも誰かに頼ること、それができそうにないならメールでも電話でもいいからすぐにお母さんに連絡をすること」と、条件を付けました。
 様子を見てそれができないと私が判断したら、こちらにいったん帰すことも考えましたが、娘にはそれを言えば追い詰めてしまうような気がしたので、「お母さんは今日のところは予定通り夜行バスで戻るね。」と。
 ご飯を食べながらこの話をしている最中、何度も娘は泣きそうな顔をしていました。
 「この話はお父さんには話してもいいのかな?」と尋ねると、「簡単にならいいけど…。けど話すとあの人心配しちゃうから…」
 そういう娘は、やはりお父さんのことをちゃんとどんな人なのかわかっているみたいで、ますます今まで娘をかばうことができなかったし、きちんと親らしい(お母さんらしい)ことができなかったからどうしても守ってもらうにはお父さんの存在は必須なのだということを改めて感じ取ることができ、私としては、本当に心が苦しくなりました。
 しかし、ここで苦しい表情をすれば、娘は「お母さんを困らせた」と思うに違いありません。
 平然を装い「じゃ、ひとまずこのお店出て、違う場所いこうか」ということで、スタバで一息。
 娘の誕生日に部活の定期演奏会があるということを聞き、「じゃ、ばばもいい機会だから東京に連れてこようかな」と話すと嬉しそうに「うん、これたら来てほしいな」と。
 その後、私をバスタ新宿まで送ってくれ話しているときに小雨が降っていたので、「小雨のうちに帰ったほうがいいね、風邪ひくといけないしね」と、まだ時間はありましたが、早めに帰しました。
 娘が苦しい思いをしている姿を、今日までの私と重ねてしまい、同じ思いをあの子にもさせようとしている自分に、すごくもどかしくてあの子の苦しみを早く解放させられないだろうかとずっと考えながら地元に戻ってきました。
 けど、これは娘が自分自身で、いろんなことを通じ失敗と成功の体験を積み重ねて「本当の素直気持ちでいられる自分」を常に見つけていくしかないのです。
 私が手を出すことはできません。
 だからと言って、見放すわけではありません。
 どんなことをしてもお母さんは法に触れることさえしなければ、いつでもどんな時でもちゃんと見ているし、いつでも私はどんなあなたでも受け入れられるのよという姿勢を常に見せることが、今の私の”親”としての務めじゃないかと思っています。
 手を出せばそれは簡単です。
 しかし、自分の手で一つずつつかみ取ってほしいのです。
 ただ、そこには、どんなことがあっても必ず戻ってこられるところがあることが前提だと、私自身の経験で感じています。
 娘を非難も肯定もせず、娘が本当に危ないときには即座に手を差し伸べ方向を転換させることと感じています。
 それには、自分の常識だけで物差しを作らないこと。
 いろんな人がいて、いろんな考え方があり、その考えには間違いも正解もない。
 ただ、それらの考えかたから自分が身につけたいことや自分の思いとは違うからそれは私が身につけなくてもいいとちゃんと自分で判断して、学んで取り入れたり取り入れなかったりすればいいんだと。
 そうすれば、娘は”娘”という一人のアイデンティティをもつ存在でいられるのだと思います。