おとといの夕方の高速バスで夜中に戻りました。
それはあるNPOでソーシャルワーカーとはという小さな集まりの参加のためです。
3月から行き詰まりを感じ始め、やがて体調も悪くなり、すがるようにネットでいろんなワードにて検索して見つけたものでした。
見つけて残り一人とあり、夜中にもかかわらず思わず応募して、翌日、参加OKのお返事をいただいて。

参加者は9名、プラスこのNPOの代表とこの集まりを企画した方とこのNPOに協力しているスタッフさんの計12名。 
みなさんの自己紹介からスタートし、二組に分かれてソーシャルワーカーを説明しようとするにはという課題をもとに、まずはソーシャルワーカーとしてのモヤモヤ感を雑談形式で話し、そこでの気づきやヒントを二組それぞれ発表。 
分かれた二組から各一人をペアに、ソーシャルワーカーは?と聞かれたシチュエーションからどう相手に伝えるかのロールプレイをしました。
最後に一人ずつ、参加の感想など話して二時間ちょっとの集まりは終わりました。

参加したみなさんは、ソーシャルワーカーとしてきちんと歴がある方ばかりで、若輩者の私の問いにも共感しながら、いろんな視点でこたえていただけて、目からウロコだったりもしました。
ただ、みなさん一貫して、本質からぶれないことと、自分が迷ったときは倫理要綱にかえること、つまり原点を読むことで、視点を戻したり、自己を振り返ることができると。 
なるほどなぁ、私が前回書いた原点回帰かなと。 
みなさんベテランなのに、ソーシャルワーカーとはなんぞや?と言われるときちんとした明確なこたえができないんだなと。 
だけど、明確なこたえがないから、いろんなことに発想を向けたり、支援が必要な人やその周りにいる人それぞれの、10人いたら10の、いやそれ以上の支援ができるんじゃないのかなって。 
私みたいに事務歴が長いと、ルーチンワークをいかに要領よくこなし次に取りかかれるかということが大切で、その時その事案一つひとつ違ってくるなんていうことはない世界観が、ソーシャルワーカーとは間逆だなと。
いまだそのクセがリセットしないまま、今、勤務して行き詰まりになったのではないかなと感じた。 
報連相も、ルーチン日夕食の高速バスで夜中に戻ってきた。 
それは、今日、あるNPOでソーシャルワーカーとはという小さな集まりの参加のためだ。 
3月から行き詰まりを感じ始め、やがて体調も悪くなり、すがるようにネットでいろんなワードにて検索して見つけたものだった。 
見つけて残り一人とあり、夜中にもかかわらず思わず応募して、翌日、参加OKのお返事をいただけた。 

参加者は9名、プラスこのNPOの代表とこの集まりを企画した方とこのNPOに協力しているスタッフさんの計12名。 
みなさんの自己紹介からスタートし、二組に分かれてソーシャルワーカーを説明しようとするにはという課題をもとに、まずはソーシャルワーカーとしてのモヤモヤ感を発表、そこでの気づきやヒントを二組それぞれ発表。 
分かれた二組から各一人をペアに、ソーシャルワーカーは?と聞かれたシチュエーションからどう相手に伝えるかのロールプレイをした。 
最後に一人ずつ、参加の感想など話して二時間ちょっとの集まりは終わった。 

参加したみなさんは、ソーシャルワーカーとしてきちんと歴がある方ばかりだったが、私の問いにも共感しながら、いろんな視点でこたえていただけて、目からウロコだったりもした。 
ただ、みなさん一貫して、本質からぶれないことを話された。 
また、自分が迷ったときは倫理要綱にかえること、つまり原点を読むことで、視点を戻したり、自己を振り返ることができると。 
なるほどなぁ、前回書いた原点回帰かなと。 
みなさんベテランなのに、ソーシャルワーカーとはなんぞや?と言われるときちんとした明確なこたえができないんだなと。 
だけど、明確なこたえがないから、いろんなことに発想を向けたり、支援が必要な人やその周りにいる人それぞれの、10人いたら10の、いやそれ以上の支援ができるんじゃないのかなって。 
私みたいに事務歴が長いと、ルーチンワークをいかに要領よくこなし次に取りかかれるかということが大切で、その時その事案一つひとつ違ってくるなんていうことはない世界観が、ソーシャルワーカーとは間逆だなと。 
いまだそのクセがリセットしないまま、今、勤務して行き詰まりになったのではないかなと感じました。
ルーチンワークだから、自分で調べてやり方がわかれば、後はできた仕事をみなさんに共有すればいいことが大半なので、こういったクセから、たえず報連相ができていないことにつながったのかなと。
昨日は参加できて本当にうれしかったです。