あれから9年経ったから、自分の変化について
少し掘ったところを記しておく。
超絶にプライベートな話なので
ご不快にさせたらごめんなさい。


9年前のあの日。

14時46分は、実家で1人で寝ていた。
夜行バスで朝に帰ってきたからね、、

揺れが収まった直後に
母親と電話が繋がったあとは
しばらく情報が遮断されてしまって。

原発や、近くの工場地帯もやばいだろうってことで
自宅からは出なかったから
海側の惨状は見ずに済んだ。

ラジオでだっけ?
海岸に2〜300の遺体が流れ着いたって聞いたときは
何の間違いだろうと思った。

次の日から、
痛めつけられて変わり果てた地元の姿を目にして
あのニュースは本当なんだと思った。


ここからその後の自分の話で。

地元には愛着とか特に無くて
家も居心地は良くなかったし
別にいつ死んでも良いやって
根無し草を自負してた自分の大きな変化。

ぐちゃぐちゃになった地元を見たことで、
逆に、はじめて地元の復興のために
何かしたいと思った不思議。

ガラの悪いクソ田舎と思ってた、
いや、今でも思ってる笑、
なんだろうね、育ててもらった恩みたいなものかな。
義理人情に近いもの。
愛情とは、体感的には少し違うんだけど。

そして、親に対しても。
一緒に暮らしてた母親のぶんも
買い物とか給水とか、私が動こうと思った。
当時は北関東に単身赴任してた父親のために
家と、母親を守らないとって思った。

私が「守りたい」と思ったのとは少し違う。
自分はどうしたいのか、自分の心に核がないことが
精神的に不安定な原因なんじゃないかって
分析を始めたころ。


そして数週間経って、もう一つの変化。

友達が行方不明になっていることを知る。

彼女は貴重なバンド仲間として知り合ったけど
実は彼女のばあちゃんは、
うちの母方のばあちゃんから母ちゃんまでお世話になってた拝み屋さんだった。

拝み屋さんの詳しいシステムは端折るけど
まぁ占いの延長みたいなやつだよね。

そのおばあちゃんは、
彼女は海の藻屑になってしまって、
もう見つからないと言ってた。

数ヶ月後、彼女の遺体が見つかった。
初めて、友達のお葬式に出た。


なぜ、拝み屋の孫の彼女が死ぬのか?

拝み屋にだって、分からないんじゃん。

運命なんて、変えられないんじゃん。



もともとあった不信感が、
彼女の死で決定的なものに変わった。
それは、拝み屋さんのばあちゃんにじゃなく、
盲信している(ように見えた)母親に対してね。



さかのぼること、うちのばあちゃん。
当時は別の拝み屋さんだけど、
結婚相手とかも見てもらってたらしいのね。

そしてうちの両親の結婚は、
割とばあちゃん中心に進んだと聞いてた。

あ、見てもらっているねコレ。

私もその流れを組み、親に彼氏を紹介するのは
まず名前と生年月日からというシステムでして。

そして、見てもらうとたいてい貶されるのよ。

会ってもいないのになんなんだよ?!って
どうも腑に落ちないままではあるものの
もともと、恋愛体質でもなかったから
割とすぐ別れちゃうパターンが続いて。
でもね、恋愛関係の限界が来ただけで
嫌いで別れたことはない。振られた時は知らないけどw
だけど、だから?復縁を望むことも無い。

それがその後、震災後に出来た彼氏のときに
詳細は伏せるけど
まぁ、ボロカスに言われたわけで。

でもそれを聞いたところで別れろ言われても
私を納得させる理由が全くなくて
もう、なんか考え方の話から
埋めようがない溝があったことに
やっと気付いた。


そして、先述の自分の不安定さが
自分の気持ちを核に持てないことについて
拝み屋やらよく分からん「常識」やらを振りかざして、規範が大事な母親と、
そんな母親と私のフォローする存在(父親とかきょうだい)の不在が大きく影響していると気付くわけで。
親父は良くも悪くも存在感なくて。
愛情はかけてもらったのも分かるけど
私の人格形成に影響を及ぼしてない人。
葬式泣かないと思うもん。←


思い返せば
摂食障害は母乳イコール愛情のイメージで
母親との関係に問題ありって話は
私には当てはまるんだろうし

お互い違うツボで繊細すぎたから
噛み合わないまま1対1で対峙しすぎただけで
虐待とかじゃないと思うけど


親が愛情と思って与えたものが、
子にとっても愛情として注がれるとは限らないから。


注ぐものが、子を満たせるものなら良いんだけどね。
満たされない想いを抱えたまま、すれ違って
苦しんでる母子っていっぱいいるんじゃないかと思ったよね。


震災がきっかけで、己を俯瞰できたことは
その後、私の親離れの大きなきっかけとなったのでした。



辛くて悲しい出来事の記憶は
薄れても消えることは無いから
そこから学んだことや
これから出来ることを、生きているうちに
最大限努力していこうと思いました。

最近脳みそがアレな状態の自分語りなので
表現がひどいものかと思います。
それも含めて記録でした。

ちなみに今は当時の彼は無事夫となり
孫ができたことで親との関係もそれなりに良好です。
自分が親になったことで、
親の気持ちが分かるどころか
やっぱりこの親頭おかしいわ!って思うこと多々あるけどね!!
やっぱりね!!あの頃の私、おかしくないぞ!

9年前は無職でしたが、
家を建てる会社に就職して
自分の家も地元に建てる事になり、
これからも、少しでも地元の復興に貢献していきたいなと思う、そんな9年後の今日でした。



以上です。お目汚し失礼しました。

後ほど通常の甘い日記もあげて
本日を締めたいと思います。


今日という日に、祈りを込めて。