いやぁ〜

今週から急に次女の登園拒否がはじまりました。

 

次女は今まで行きたくないっていう事があっても

気分というか

今日はなんか嫌だなっていう感じで

 

1日休ませたら次の日からまたノリノリで行く!

みたいな感じだったんだけど

 

今回は3日続いてる。

 

月曜日は頭が痛いと言って一緒にたっぷりお昼寝した。

火曜日は行きたくないと大泣きして旦那さんが仕事を休んでくれた。

そして水曜日の今日、大泣きする娘を保育園に預けてきた。

 

特に重要な仕事があるわけでもない今日にだ。

胸がぎゅーっとした。

 

 

私は今日仕事の後、友達とホテルステイをする。

こんなブログをかいている時間があるなら

娘と一緒にいた方がいいのかもしれない。

 

 

 

だけど今日の私にとって

保育園を休ませてホテルステイをキャンセルすること。

 

 

それは今の私にとっては1番簡単で

1番に思いついたアイデアだ。

 

 

だけど今日は違う選択をとった。

これは感覚的なところだけど

 

 

娘、今、向き合うところがあるんだな。

 

 

そう感じたからだ。

 

 

行きたくない理由は聞いても答えないからこれ以上聞かないことにした。

 

だけどなんとなく思うのは金曜日のこと。

遊ぶのに夢中になっていたらトイレに間に合わずお漏らしをした。

そういうことがあった。

娘は落ち込んでいた。

恥ずかしかったんだと思う。

 

 

 

大人の私にとっては

”そんなこと”

でも

娘にとったら

”大変なこと”

なのかもしれない。

 

 

 

だとしたら私は今日、恥ずかしい気持ちのまま

保育園に行かせることが最善のアイデアだった。

 

”そんな私でも大丈夫”を体験して欲しいから。

 

一番心がぎゅーっとなる選択だ。

 

 

 

数年前、働かなきゃいけないと思って仕事をしていた時は

行きたくないと登園拒否する長女に対して

申し訳ない気持ちで無理やり預ける日もあった。

胸がぎゅーっとした。苦しかった。

 

 

そこから働き方を変えて

お家起業を始めた。

休みたい時はいつでも休ませてあげることを繰り返した。

そんな選択ができる自分が誇らしくもあった。

 

 

だけど今日は全く違う選択をとった。

 

 

休ませてあげられるのに行かせた。

 

仕事の都合とかそういうんじゃなくて

娘にとっての最善を私なりに考えたアイデアで選択した。

 

 

 

休ませたいのに休ませられなかった私から

休ませたい時は休ませられる私になって

休みたいというのに休ませない私になった。

 

 

 

同じ人間なのに選択が全然違う。

 

 

だけど一つだけ言える事は

どの時代もずっと私は娘を大切に思っているという事。

その時その時の自分の思う愛を表現し続けているという事。

 

 

仕事を頑張れば娘の為になると思っていた愛の形も

娘の要望を叶えてあげられる事が娘の為になると思っていた愛の形も

それから娘を信じてトライさせる事が娘の為になると思う愛の形も

 

 

全部その時々の最善の選択。

 

 

私は変わった

だけど私は変わってない

 

 

 

私はずっと娘が大好き!