新年、いかがお過ごしでしょうか?
私は、元旦からジョギングを始めてみたり、(書くのが恥ずかしい位のわずかな時間ですが)
屋外での自然動を、誰もいない夜の公園で試してみたり、(普段は人通りもあるので、外ではやりづらいのですが・・・)
これがかなり気持ちよくて、30分位やったら身体もすっきり、鏡を見ると顔もシャープに・・・。
あと、やらなくては・・・と思いながらも、中々手の付けられていなかった仕事をまとめてみたりと、私なりに充実したお正月を過ごしています。
お節は毎年、知り合いで小料理屋を営んでいる料理人さんにお願いしています。
それと、近くの魚屋さんで注文した焼鯛を、母と一緒につつくのが、いつものお正月になっています。
母も高齢なので、あと何回こうやって一緒にお正月を過ごせるのかなぁと、しみじみと考えてしまいます。
いつもと変わらないお正月ですが、今年はとても貴重な時間のように感じました。
「ライフミステリー 」のこんな一文を思い出しました。
『本当の調和』って本当に難しいよね・・・
『本当の調和』状態というのは、それを失った時に初めて気が付くものかもしれないから。
例えば、『空気を吸ってる』ってことを日常的に意識するのって難しいでしょ?
きっと『本当の調和』ってそんなことなんだよね・・・」
母と一緒に暮らしていますが、生活スタイルも違うし、食事の時間も違うし、食べたいものも違います。
同じ空間で過ごす時間は極めて少ないのですが、きっと今の状態が調和しているという状態なのだろうなと。まさに空気のような存在です。
カルマ的には母の理想と潜在理想を生きている私は、母を養うことで、その生き方を強化していますし、きっと理想の人生に向かっているのだろうと思っています。
また、母を養うことで、父の不理解感情も色々と理解できたように思います。
父が亡くなった時に、父から母を託されたような気持ちになったのですが、本当にその通りになっているのですよね。
生前の父と母は、決して上手く行っているとは思えなかったし、互いに相当しんどい夫婦生活だったはずです。
しかし今振り返ってみると、母を守る為に、父の人生があり、私の人生があるように思います。
そして、父と母の潜在理想と理想を、私が生きています。
色々な意味で、両親の無念を晴らすように、自分が生きているようにも思うのです。
そのために、私が最大限に力を発揮できるように、父は私に母を託して亡くなったのではないかと・・・。
きっと本当の意味で助け合うとはこういうことであり、それができるのが家族なのだろうと思います。