昨日のブログでも少し書きましたが、


当たり前でないことを、当たり前だと思っていると、それは当たり前ではないのだから、いつかそれが当たり前ではなかったということに気付かされる体験をすることがあります。


おそらく多くの人が体験するであろう、親がいなくなって初めて、親の有難さに気付くという話も、そういうことなのだと思います。


もしかしたら親に対して、うっとおしいと感じていたり、どっか行ってくれたらいいのに・・・とさえ感じていたとしても、いざその親がいなくなると、どれ程自分にとって大きな存在だったのか。いてくれるだけで、どれ程自分が助けられていたのか。その存在の大きさに気付くことになるのでしょう・・・。


当たり前だと思っていればいるほど、失った時のそのそのダメージは、とても大きなものであるはずです。



*** *** ***



日本に住んでいると、あまりにも平和で、とても恵まれていて、それが当たり前ではない。ということに気付くことは本当に難しいです。


今の時代に生きる私達は、生まれた時から、その環境の恩恵を受けることができていたから、どうしてもこの状態が当たり前だと思ってしまうし、むしろ不満に思うことの方が多いのかも知れません。


私自身も、数年前にインドやカンボジアに行くまでは、日本の恵まれた環境が当たり前だと思っていました。


初めてインドに行ったとき、手足のない物乞いの人達がそこらじゅうにいて、路上に寝ている人達がうじゃうじゃいる。その光景を見た時に、あまりにショックで、怖くて怖くて仕方がなかったのを覚えています。


それは12月の寒い時期、ホームステイだったのですが、トイレの横の小さなスペースで、小さなヤカン1杯分の熱湯に水を足して、バケツ1杯分のぬるいお湯で頭も体も全てを洗わないといけなかった時、お湯がふんだんに使える生活がどれだけ有難いと思えたことか、今そんな事を、思い出しました。


それでもステイしたのは中流家庭でしたし、おそらく気を遣ってわざわざ私の為に、お母さんがヤカンでお湯を沸かしてくれていましたから、それでも現地の人からすればとても恵まれている状況だったと思うのです。



その後、カンボジアに行くようになり、孤児院を訪れ、貧しい田舎の村を訪れたり、スラムの風景をみたりすることで、日本の当たり前が当たり前ではないことを、色々体験することができました。



親がいることは当たり前ではない。


家があることは当たり前ではない。


いつでもごはんが好きなだけ食べれることは当たり前ではない。


綺麗な水が飲めるのは当たり前ではない。


電気やガスが使えるのは当たり前ではない。


雨が降っても街に水があふれないのは当たり前ではない。


働けることは当たり前ではない。


学校に通えることは当たり前ではない。


欲しい物が買える事は当たり前ではない。


自分の為にお金を使えることは当たり前ではない。


養ってもらえる事は当たり前ではない。



書けばキリがないですが、まだまだ沢山の「当たり前ではない」があり、それを体感することができたのは、私にとっては本当に大きな価値のあることでした。



*** *** ***



話がインドとカンボジアに行ってしまったので少し戻します。


何かに対して「当たり前だと思っている」ということは、当たり前じゃない人達や当たり前ではない状態への不理解がある。ということです。


すると、それを理解するために、当たり前ではない人達の気持ちや、当たり前ではない状態を理解するように向かう可能性があるということになります。


そして、当たり前だと思っていた事は当たり前ではなかったんだ。という気持ちになり、そのことに対して感謝できるようになるのです。


平和で豊かであることを当たり前だと思ってしまったり、さらには不満ばかり言っていると、実はそれがどれほど平和で豊かだったのか。どれ程有難いことだったのか。と気付かされるような方向に向かってしまうのではないかと思ってしまいます・・・。


昨今の自然災害なども、何かの警告のような気もするのです。


安全で平和で豊かな未来が続きますように、平凡な一日にこそ、感謝をしたいと思います。




★★・・・===============


◆お仕事ブログはこちら です。


◆無料メールセミナー(メルマガ)

「これだけは知っておきたいお金の法則」のご案内はこちら です。

「独立の為のカルマの法則」のご案内はこちら です。

「カルマの法則を使って売上アップ」のご案内はこちら です。


◆「カンボジア小学校建設支援」

チャリティーブレスレットのご案内はこちら です。


★★・・・===============