今週の月曜~火曜にかけて、鹿児島に行ってきました。


目的は、知覧にある「知覧特攻平和会館」に訪れることでした。


先日のブログに、特攻隊から生還された方のVTRを見た事について書いたのですが、もっと詳しく知りたい、知覧に訪れて色々見てみたいという気持ちが強くなり、その後何だか、いてもたってもいられなくなっていしまいました。


確認すると、ちょうど残っていたマイレージが、鹿児島往復できるマイル数があり、希望日のフライトも一番都合の良い時間の便が空いており、これは行くしかないな・・・という感じでした。

午前8時10分 伊丹発~鹿児島行きの飛行機で、鹿児島に向かいました。 約1時間20分程で鹿児島に到着します。


鹿児島空港からは、まず空港バスで約1時間、鹿児島中央駅に向かいます。鹿児島中央駅から、知覧までは、ローカルバスとなります。

1時間に1本、便があるかないかのローカルバスに、約1時間半程揺られながら、ようやく知覧に到着しました。


鹿児島空港まではあっと言う間でしたが、そこからが中々遠かったです。


平日ということもあり、私が到着した時間は、まだ観光バスもちらほらで、とても静かでした。

じっくり見たかったので、腹ごしらえをした後、早速、特攻平和会館に向かいました。会館の中は、一切撮影禁止なので、外観の写真だけになります。






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会館の中に入ると、その壁面には、若き特攻隊員の遺影が1つ1つ飾られています。(1026名だそうです)

遺影の下にはガラスケースがあり、その中には、それぞれが家族に宛てた遺書、絶筆、遺詠が、展示されていました。


そのほとんどが、17歳~22歳位までの若者達でした。飾られている遺影の中の表情は、とても凛々しく逞しく、とても美しいのです。自分の中のイメージにある、その年代の若者とは結びつかないものでした。


それでも、はにかんだ表情や笑顔の写真の中には、やっぱりまだあどけない若者の表情が伺えました。


そんな若者たちが、お国のためにと、死んでいく・・・それを想像するだけでも、胸が張り裂けそうになりますが、そのガラスケースに展示されている一つ一つの遺書を読んでいくと、さらに込みあげて来るものがあり、


適切な言葉が見つからないのですが、とにかく涙があふれてきました。

17歳~22歳の若者が書いたとは思えないような、見とれるようなあざやかな達筆で書かれた遺書。しっかりとした文章。ほどんどの遺書が母親に宛てて書かれたものでした。


「母上様、この年までお育て下さった御恩の程、心から御礼申し上げます」


「何卒、先立つ不孝をお許しください」


「何の御恩返しも出来なかった、親不孝者をお許しください」


「どうか母上様、悲しまないで下さい。喜んで見送って下さい」


申し合わせたように、このような言葉が書かれていました。


20歳にも満たない若者が、しっかりとした言葉で、明日自分が死ぬという日に、お国の為に自らの命を絶つことを受け入れ、誇りとし、残こされる両親の事を心配し、感謝の言葉を残す・・・。

ここに至るまでに、どれほど過酷でどれ程厳しい、訓練と教育を受けてきたのか・・・と思います。


また、そんな手紙を受け取った両親は、一体どんな気持ちだろうと・・・。


どんなに想像しても想像ができませんが、そんな立派な若者たちが、自分の命を犠牲にして、戦争に勝つために亡くなっていった事を考えると、どう受け止めて良いのかわからなくなりました。

両親に宛てた遺書や手紙は、軍の検閲があるので、おそらく本当の気持ちを書くことはできません。

「お国の為に散っていくことを誇りに思います」


「明日出撃だと思うと、胸が高鳴ります。一撃仕留めてみせます」


「自分は本当に幸せ者です」


遺書に書かれているこのような内容は、彼らの本音ではない・・・と思います。誰だって死にたくないし、逃げれるものなら逃げたいと思うのです。


けれど、それを言えない辛さ。 そして嘘でもそう思わなければ、そう信じなければ、そう自分を納得させなければ、怖すぎていられないのではないかと思います。 特攻隊として出撃する事がどんなに怖くても、決して逃げられない環境なのですから・・・。


実際に、特攻に出ても、エンジントラブルで戻ってくる事になったり、突撃に失敗し、不時着して助かり戻ってきたりすると、裏切者扱い、卑怯者扱いされ、周りから白い眼で見られてしまう…

そして、仲間を死なせて、自分だけは生きて帰ってきたという激しい罪悪感に苛まれながら、周りからの白い眼に耐えながら生きなければならない。生きて帰ってきても地獄なのです。 


私には子供がいないので親の気持ちは正直分かりませんが、我が子がその若さで、自分より先に命を絶つということを、受け止められるものではないと思うのです。どんな姿であっても生きて帰ってきてほしいと願うものだと思います。

お国の為に自分の命を捧げているのに、生きて帰ってきたら、本人も家族も非国民扱いされるのです。


特攻隊だけではなく、そんな気持ちで戦ってきた人達の沢山の犠牲と、戦争の時代を生きてきた人達の辛く理不尽な体験から、今の平和で豊かな日本があるのだと、そう思いました。


バラコミ的に考えるならば、その時代に生きた人達の、理想と潜在理想が、今の日本であり、それは多くの犠牲によって導かれているのだと思うのです。


だからこそ、戦争の恐ろしさ、空しさ、理不尽さを、理解はできないけれど、考えることが大切なのだと、多くの犠牲の上に、今の平和があることを理解するべきなのだろうと、ここ最近、いろいろ考えてきたこと、学んできた事、全てがここに繋がるような気持ちになりました。


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