今日のブログもこちらからの引用です。

超訳 ブッダの言葉/ディスカヴァー・トゥエンティワン

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「怒り」の連鎖から抜け出す」 経集1 下記引用です。

「もうヤダ、やってらんないよぉー!」と、君の心に怒りがさっと広がったなら、脳内には神経毒素が放出されて、体中に毒性の異変が広がる。

もし君が毒蛇に足を噛まれたら、毒が体全体に広がってゆくのと同じ。あせらず薬草を探してすりこめば、やがて毒は消えて命拾いのほっと一息がつける。

心の中にくすぶっている怒りの毒に、冷静さの薬草をすり込んでことごとく消し去ることこそ、本当に命拾いになる。

怒りを捨て去ったなら君は、もはや生きる苦しみの連続から、優雅かつ軽やかに抜け出すだろう。

そう、まるで蛇が脱皮して、抜け殻を捨ててゆくかのごとく。


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「怒りの感情を消し去る」とても難しいと思います。

実際にどうやって薬草を探せば良いのか?現実的にはそれが難しいのかも知れません。どこに薬草があるのかわからず、色々なものを頼りたくなるし、依存したくなる。

頼ること、依存することが悪い訳ではなく、実際にそうする事で感情も和らぐはずだから、それも必要だと思います。

ただそれは、麻酔的、痛み止め的なものかもしれないし、ここでかかれている薬草とは、少し意味が違うようにも思います。

冷静さの薬草をすり込んでことごとく消し去る。例えば、瞑想をすることは、その作業の一つなのだと思いますし、とても有益な方法だと思います。

日々瞑想に取り組むことが出来れば良いのかもしれませんが、現実的には難しい部分もあるのではないかと思います。

では、どうすればよいか?ですが、「今、自分に発生しているこの怒りは、一体、誰の不理解感情なのか?」と考えてみることだと思います。

自分の母親、父親、兄弟、もしくは身近な誰かの気持ちかも知れないし、自分が直接誰かに発生させてしまった感情が返ってきているのかも知れません。

もちろん、それを考えることで、「きれいスッキリ!怒りから開放!」とはいかないかもしれませんが、少なくとも、それを考える前の気持ちと比べると、ほんの少しは怒りの感情が収まっているのではないかと思います。

カルマの理論から考えると、理解していない感情を理解することで、カルマを解消することができるのですから、「この怒りは誰の気持ちなのか?」を考えれば考えるほど、その怒りの感情を減らすことができる。と考えることができます。

これは、「怒りを抑える、我慢する」とは大きく違います。我慢すること、抑え込むことは、理解しているわけではありません。もしも自分が我慢すれば、誰かを我慢させる事になります。誰かを我慢させると、また自分が誰かから我慢させられることになってしまいます。

ネガティブな感情ほど、一気に解消することは難しいですが、日々自分自身に発生する気持ちが、不理解感情なのだと考えることが、ここでいう薬草であり、毎日薬草を塗り続けることで、やがて毒が消えてゆくのだと思います。




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