「長友佑都のとてつもない苦労話」という記事が載っていました。

記事はこちらです。

どれほどの苦労を経験されているか、実際にはご本人しかわかりませんし、

この記事だけみると「とてつもない苦労」という表現はどうなのかな・・・と思いますが。

実際には、この記事以外の苦労がもっと沢山あるのではないか・・・とも思います。


◇苦労の数々

1.長友が小学3年生のときに両親が離婚

2.中学進学にあたり愛媛FCのセレクションを受けるが落選

3.中学のサッカー部に入部するが、髪を金髪に染めてゲーセンに入り浸る毎日

4.強豪東福岡高校に入学するが、全国的には無名だったため明治大学に指定校推薦で入学

5.明治大学サッカー部入部直後に椎間板ヘルニアを発症

6.1年生の間は全く試合に出れずに、パチンコなど遊興に溺れる日々

7.怪我で試合に出場ができなかった頃は、スタンドで応援のために太鼓を叩いていた

その後の輝かしい実績
【2008年~2010年】
FC東京に加入し、84試合に出場し5ゴール

【2010年~2011年】
イタリアのチェゼーナで16試合出場、インテルで19試合に出場し2ゴール

【2011年~2012年】
インテルで36試合に出場し2ゴール


サッカーは全然詳しくありませんが、長友選手はひそかにファンです。

この記事を見て、家系宿命期の理論をご存知の方ならわかると思いますが、

小学校3年生の時、両親が離婚して、母親が女手一つで育てた。というのは、

まさに下降期~低迷期の時期と考えられます。

記事を読むとお母さんの苦労は相当だったと思います。

年子の3人兄弟を女手一つで育て、地元ではなく東京の大学に

通わせるのは並大抵のことではありません。

そして長友選手の前半の苦労の理由は、

下降期~低迷期の時期と重なっているため、頑張っても結果に繋がりにくかったとことと、

母親の仕事や子育てのストレスから、そのカルマを受けている可能性もあると思います。

さらに、3人兄弟の年子の真ん中である長友選手。

キャラクターウエイトで考えると、非常に軽いはずです。

キャラクターが軽いと、無力化されやすいですから、

頑張っても結果が出づらく、特に中学生の頃は、

かなり苦労したのではないかと思います。

そしてこの時期の沢山の苦労が、その後の輝かしい結果に

繋がっているのではないかと思います。

おそらく2008年以降が上昇期の流れだと思いますし、

キャラクターが軽く沢山無力化された分、

環境の変化により能力化され、このような実績に繋がっている

のではないかと思います。


インテルでも、ムードメーカー的な役割だったり、

現地の選手達とも良い関係を築いているような話を読んだことがありますが、

おそらく調和能力が高いのだろうと思います。


別の記事に、長友選手のこんな言葉が載っていました。

「たくさんの愛情のもとで、僕は育ってきた。成長した自分を見せることが恩返しだと思った。好きな人のためにって考えると、力がわいてくるし、頑張れる」

「恵まれた環境でプレイできているからこそ、感謝の心を忘れたら、躓いたときにあっという間に落ちていく。昔は家族や恩師、地元の仲間への思いだったけれど、今は日本の人たちへの感謝の気持ちがある。僕は日本人を代表して、イタリアで闘っているという覚悟がある」


………

今の自分の環境や日常がいかに恵まれているかという事。

つい私自身も忘れてしまうことがあります。

長友選手の言うように、感謝の気持ちを忘れた時、

トラブルが起こったり、ネガティブな出来事が起こるのだと思います。

そしてその環境や日常がいかに恵まれていたかと言う事を思い知らされる・・・ということなのだと思います。

感謝の気持ちを忘れないように・・・改めて考えることが出来ました。




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