こんばんは。


仕事から帰ってきたら

スネにちらほらアザ発見!


が。ぶつけた記憶も痛いと思った記憶もない。


復帰で緊張してたのか

鈍感を極めただけなのか

なかなか悩ましいところですね。


さて、先日、兄に母の介護について評価され

ブチ切れかけた話をしました。


その時に思い出したことがありまして

今回はその思い出について語ります。

よろしかったらお付き合いください。



母方の祖母がなくなったのは約30年前。

当時、祖母は叔父一家と同居でした。


祖母は畑仕事の時に転んで骨折。

入院をきっかけに寝たきりになり認知症に。

その数年間のあいだ

叔母は3人の子どもを育てながら

介護を一手に引き受けてくれてました。


当時は介護保険制度もなかったし

介護は家族、嫁の仕事と考えられてた時代。

だから叔母に協力するとか

ねぎらうとか

そういうのはなかったように思います。


母に「手伝わなくていいの?」と聞いたら

あんたが口出しすることじゃない、みたいに言われてしまって

私自身、口も手も引っ込めてしまったので

えらそうなこと言えないのですが。。。


私は叔父一家、大好きだったんですよ。


叔父は7人兄妹の末っ子で

母とも10才近く年が離れてたので

叔父というより兄みたいな存在で

叔母は姉御肌、って言葉そのものみたいな人。

「叔父にはもったいないよね」

などと口走っては怒られてたのは私です。


その叔母に「もう会うことはない」と言われたのは、祖母の法事を終えたときのこと。


曇り空だったこと、

やたら境内の広いお寺だったことは覚えてますが

叔母がどんな顔してたか、 

自分が何を言ったのかは全く覚えてません。


ただひたすらショックというか、

私、何かしたんだろうか?

それとも何もしなかったから?

なんでこんなこと言うんだろう?

実はずっと嫌われてた?


そう思ったことだけ覚えてました。


それがですね。

兄にワナワナぷるぷるした後で

叔母のその後の言葉を思い出したんです。


「お姉さん(母)たちが許せない。今日まで、と思ってきたから、ごめんね」


叔父夫婦が離婚したのはそれからすぐでした。


詳しいことは聞けなかったし

叔母もそれ以上のことは言わなかったから

私の想像でしかないのですが


叔母が私に話しかけてくれたのは

嫌いだから、ではなく

気を遣ってくれたからだ、と。

黙っていなくなることも出来たのに。


やっとそれに気がついたんです。

かなり長いことかかりましたけど。


兄にワナワナぷるぷるしながらも

抑えられたのは

「今は揉めたらあかん!」思いもあったけど

叔母の影響もあったのかも、と今は思ってます。


あれから叔母がどうしてるのか、

従姉妹たちのこともわからないけど

たぶんパワフルにいると思うし

いてほしい、ですね。


おばちゃんも負けずにいかなきゃ、です。

願わくば明日はアザ無しで。


それでは、またニコニコ