おはようございます。


突然始めた「認知症というその前に」シリーズ、

4回目は、なぜにいきなり始めたか、

そのあたりを語ります。

よろしかったらお付き合いください。



おばちゃん、なんだかんだで介護職も10年超。

最初はヘルパー講習と現実の違いに「ひぇ無気力

 (なんで転職したんだろ?)

思ってナミダぐすんにくれる•••ことはなかったけど

前職からの誘いに迷った時はありました。


その時、なぜか思ったんですよ。


「経験の浅い分は知識でなんとかしちゃる!」


参加出来る講習、勉強会、めっちゃ行きました。

経験談や、介護のルポルタージュの本を探したり

ネットの情報もよく見ましたね。


そこで引っかかったのが「介護は大変」「突然の介護に備えよう」という類の話。

特に「認知症」に対する独特の雰囲気みたいなのがイヤだな、って。


いや、それもまた事実だし

そう思いたくなる現実はある。


けど。


ある日突然起きたら認知症、なわけでもないし

認知症になろうと思ってなる人、いないですよね。

介護だ、認知症だ、と騒ぐより

その前にできることって何もないってこと?

なんかちょっとヘンじゃない?


そう考えるようになった頃、

ちょうど母の様子が変わってきまして。


あせりました。


(うっわ、どうしよ?)

(単なる老化?それとも違う?)

(私がやらなきゃ、になるんだよな•••ちょっと、かなりイヤかもしれない)


もともと良い親子関係ではなかったので

母の心配、というよりは

自分が関わりたくない、逃げたい思いが先にたってしまって

なかなか冷静にはなれなかったです。


それから3年くらいは

認知症ではない可能性を探して

あれこれ検査を受けさせたり

健康体操に通うよう仕向けてみたり。


もちろん、平和な日々とはお世辞にもいえず

「あんたなんか2度と来るなっ」

「誰が来るかよ、勝手にしなよっ」

なーんてやり取りもありましたよん爆笑


そして、とうとう、というか、

ついに介護度認定調査を受ける日が来て

その時に調査員さんに言われたんです。

「今まで1人で頑張りましたね。これからはまわりも頼って介護しましょう」


そこで気がついたんです。


認知症が介護の始まりではない。

親の老いと向き合うこと、それも介護なんだ。


あまり褒められた会話ばかりではなかったけど

病院行ったり

体操教室の感想聞いたりするなかで

母がどう考えてるのか、

もしホントに認知症になったらどうするか、

そんな話もすることが出来てた。


それも調査員さんから指摘されて

初めて気がついたおばちゃん。


認知症かどうか、は気になりますし

大事なことではあります。

が、「認知症」という診断がされてしまうと

その枠のなかでしか考えられない、という面も出てきます。


現場にいますと、そこがね•••真顔真顔真顔

何事も甲乙両面ある、と思うしかない。。。


当時はあまり深くは考えてなかったけど

あのケンカしながらの時間があったから

その後の介護生活が出来たのかもしれない。

そんな風に思えるようになってきたんです。


迷いも落ち込むこともありましたけど

最後は母がどう言ってたか、が決める拠り所になってたな、と。


ということで、これは、と決めてしまうその前に

親の老いと向き合うことをしてほしいな、というお節介な気持ちから始めてみました。


何かの参考になれば幸いです。


それでは、またニコニコ