寒さもそろそろ慣れてきた3日目。

今回の旅で失敗したのがホテル。

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写真の上をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。


便利な繁華街の明洞エリアで手ごろな価格のホテルを検索したのが今回のホテル。
新しく出来たばかり・・・とレビューも少なめ!!
ソウル=ホテル=ロッテホテルを想像してしてしまう私。
実際は・・・間口1間の雑居ビルを改造してホテルにしちゃった感じ。
火災が起きたら絶体絶命!!
おまけにオンドル(床暖房)も無い底冷えする客室。
エアコンを一晩中フル回転させても最低気温-16度には勝ち目はありません!!
そんな訳で昨晩は寝る寸前まで「チムジルバン」で過ごしていたのであります。(涙)
ソウル市内は地下鉄を使えばとても便利。
何も明洞のホテルにこだわることがないという事を強く実感しました。
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明洞の外れの町並み。
高層ビルが立ち並びます!



ソウル最終日の朝食はキンパッ(韓国式海苔巻き)
キムガネ(김家네)
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「キムガネ」といえば有名なキンパッのチェーン店。
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ソウルの至る所で見かけますが・・・。
チェーン店って言ってバカにできない。
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見よ!この満足そうな顔を!!(笑)
かなり美味しいです♪
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朝食が済んだら・・・観光です。
この日は3日間の中で1番寒かった日・・・。


徳寿宮(덕수궁)
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徳寿宮はソウル市庁の隣りにあります。
徳寿宮はもともと成宗(李朝第9代王)の兄である月山大君が住んでいた邸宅でした。
ところが豊臣秀吉による文禄・慶長の役が勃発した翌年の1593年、
避難先からソウルに戻ってきた宣祖(李朝第14代王)が月山大君が住んでいた
この邸宅を臨時の王宮として使用。
最初は徳寿宮があった場所の名前が貞陵洞だったことから貞
陵洞行宮(行宮=王の臨時宿所)という名前でしたが、
これを光海君(李朝第15代王)が慶運宮(キョンウングン)と命名、
数年間ここで生活したそうです。
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その後1615年に光海君が昌徳宮に居場所を移し、
その後274年間この王宮は主人不在の状態でした。
しかし1897年、高宗(李朝第26代王)がここ慶運宮を修理し、
もとの王宮らしい姿に生まれ変わった後、俄館播遷(アグァンパチョン・1896年2月、明成皇后暗殺に身の危険を感じた高宗がロシア公館に避難した事件)の翌年の1897年に慶運宮へ居場所を移したことで再び王宮として使用されるようになりました。
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この時から高宗が皇帝として在位した1907年まで、
徳寿宮は大韓帝国(1897年8月12日~1910年10月22日までの李氏朝鮮王朝の国名)の
波乱万丈な歴史の中心舞台になりました。
1904年の大火災でほとんどの殿閣が焼失、
1905年には重明殿(チュンミョンジョン)で日韓保護条約(乙巳条約)が締結されるなど、
幾多の受難を経験した歴史的な場所でもあります。
高宗の次男である純宗(李朝第27代&最後の王)が1907年に皇帝に即位し、
昌徳宮へ居場所を移したのですが、
慶運宮に残った高宗の長寿を願う意味で徳寿宮と命名、
以来慶運宮は徳寿宮と呼ばれるようになりました。
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石造殿
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1900年に着工、1910年に完工した地上3階、延べ面積1,247坪の、御影石でできた石造建物。
外観は19世紀初めにヨーロッパで流行した新古典主義様式で、
イギリス人技師ハデイングが設計しました。
建物の長さは54.2m、幅31m、高さ17.5m、延べ面積1,226坪。
石造殿という名前には「石で造った」という意味があります。
一時期、宮中遺物博物館として使用されました(現在は「古宮博物館」に改称、景福宮内に移転)。
ちなみに石造殿と関連する何よりも重要な歴史的事件は1946年、
日本の植民地支配から解放された朝鮮半島の将来を論議するために開催された、
米ソ共同委員会の最初の予備会談が1月16日、ここで行われたということ。
米ソ共同委員会は1945年12月、モスクワ3相会議の決定に従い信託統治と臨時政府樹立などを論議するために設立された米・ソ・英の代表者会議です。

現在工事中でした。

徳寿宮から歩くこと15分。

光化門広場 (광화문광장)
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朝鮮時代、「六曹通り」と呼ばれ、
王や商人、庶民たちが行き交う首都・漢陽の中心道路だった世宗路。
これまで16車線の道路が走っていましたが、
中央6車線を廃止し、その空間に幅34m・長さ557mの広大な広場が造成されました。


遥かかなたには、韓国の大統領官邸青瓦台。
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広場には世宗大王イスンシン将軍の像がありますが、
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世宗イヤギ・忠武公イヤギ
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その2人の人物に関する展示が見られるところです。
世宗大王は、朝鮮第4代目の王様で、「ハングル」を作り出したことで超有名な王様で、
現在は10000Wの顔となってます。
一方イスンシン将軍は、
豊臣秀吉の2回の朝鮮出兵の際に亀甲船で猛反撃をし勝利したという将軍です。


そして、もう一度
清渓川(청계천)
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11時46分。気温-14℃
どれだけ寒いかと言うと、首から下げていたカメラのスイッチを押してもレンズが出てこない!!
ホカロンで温めてあげると、レンズが出てきた出てきた。
きっと内部が寒さで凍結してしまったんでしょう。
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そりゃそうですよね・・・。
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ソウル最後の食事は空港。
空港って言っても馬鹿にできない。
本格的な韓国料理です。(当たりまえか!!)
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            プルコギ
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           スンドゥブ
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見よ!!食べ物を前にこの幸せそうな笑顔を!!


最後までお馬鹿。(冷汗)
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帰りたく無いよ~~~~~。
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♡今年もよろしくお願いいたします♡

 

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