釜山上陸 2日目

朝食
釜山の繁華街・西面であわび粥で有名な店といえば「済州家」
「釜山すし」

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ロッテホテルの裏道、「済州家」の5軒隣に
もっと美味しいあわび粥の店があると聞いていってきました。

お寿司屋さんなんですが午前中だけ予約であわび粥が食べれます。

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色々おかずが付いて
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15000W。
日本円で約¥1,500。
朝食としては決してお安くはなかったですが、
あわびがゴロゴロ入っていたので大満足です。
個室なのでゆっくりできました。




今回の旅の目的は、
朝鮮半島を初めて統一し新羅王朝の古都であった慶州(キョンジュ)を訪ねること。

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   韓国MBCテレビで放送された「善徳女王」
http://www.bsfuji.tv/seondeok/ という
5千年に及ぶ朝鮮の歴史で、初の女性統治者――善徳女王。
女たちの熱き戦いの末、三国を統一した彼女の人生とは。
韓国で視聴率30%以上、独占率約50%を叩き出し続ける、
脅威の時代劇ドラマがとても面白く、
慶州という土地に興味が湧き、ずっと訪ねてみたい場所でした。

釜山市から車で走ること1時間半で慶州中心部(歴史遺跡地区)に到着。

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              ↑
     これが慶州の高速道路の料金所。

街のあちこちで古墳などを新羅(シルラ)時代の歴史遺産が目に入り、
歴史の息吹を感じられる事から、
日本の京都・奈良のようだ、とも紹介されることが多い慶州(キョンジュ)。

まずは、古墳公園・大陵苑
約12万5400坪という広大な敷地に23基の古墳が並んでいます。古墳群の規模としては慶州一。
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きれいに刈り揃えられた芝生が古墳を暖かく包んでいます。
古墳の向こうには、また古墳。
続いて古墳。
そして古墳。
またまた古墳。

慶州市内にはこのような景色がごくありふれて転がっているんだそうです。

古墳の主はどんな人?
慶州エリアに存在する古墳のほとんどは、誰が埋葬されていたのかもはっきりわかっていません。
この大陵苑も例外ではなく、名前もつけられておらず何号古墳と呼ばれるものも多いです。
大陵苑の中で特に有名な古墳は全部で3つ。
天馬図(チョンマド)が発掘された天馬塚、
瓢箪型の夫婦墓である皇南大塚、
そして大陵苑という名前の由来となった味鄒(ミチュ)王が眠る味鄒王陵です。


天馬塚(チョンマチョン)
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大陵苑の中でもっとも有名な古墳がこの天馬塚です。
天馬塚という名前はこの古墳から天馬を描いた馬の泥よけが出土したことに由来します。
この天馬塚からはそのほかにも金冠や腰帯など1万1500点余りが発掘されました。
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また天馬塚の内部に入って突き当たりの壁は古墳の断面がわかるように作られており、
新羅時代の古墳がどのようにできているかを学ぶことができます。
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皇南大塚(ファンナムテチョン)
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皇南大塚は慶州市内でも最大規模の古墳です。
通常の古墳が円形であるのに対し、
この古墳はふたつの古墳がくっついた瓢箪形をしているのが特徴。
瓢箪形の古墳は夫婦がいっしょに埋葬されていることを意味します。
1973年から1975年にかけて行った発掘調査の結果、
北側から「夫人帯」と書かれた銀製の帯金具が発見され、
女性が埋葬されていることがわかりました。
埋葬されている人物が誰かははっきりわかっておりませんが、
5世紀ごろの王と王妃だろうと推定されています。
南側が男性、北側が女性の墓になっています。

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瞻星台(チョムソンデ)
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慶州には東洋でもっとも古い天文台が現存しています。
7世紀につくられた瞻星台(チョムソンデ)は、とっくり型の愛らしい形をした天文台。
1962年には国宝第31号にも指定されました。
単純に石を組み上げただけのようにも見えますが、
実はものすごく緻密な計算に基づいて作られています。
まず全体的に使われている石が全部で361個半。
これは陰暦の1年を表しています。
また中間に四角形の窓のようなものが作られていますが、
この窓の上段を基準に最上段までが12段。
下段から最下段までも12段。
これは1年12ヶ月。
そして24節気を表現しています。
四角形の窓は出入口として使われていました。
内部を見ると下から12段目までは土で埋まっており、
出入口にはハシゴをかけた跡があるそうです。
また出入口の少し上には井桁状に長い石が組まれ、
その一部が外部に露出しています。
ハシゴで中に入り井桁を通じて最上部まであがったと考えられています。


鶏林(ケリム)
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西暦65(脱解王9)年のことです。
瓠公(ホゴン)という人が半月城(パヌォルソン)のそばを歩いていると、
始林というところがキラキラと光っているのを見つけました。
その場所には天から紫色の雲が伸びており、
見ると木に金色の櫃がかかっているではありませんか。
その木の下では鶏が何かを知らせるかのように声高く鳴いています。
これはただ事ではないと驚いた瓠公は、時の王である脱解(タルヘ)王に報告をしました。
すぐさま王が始林まで駆けつけ金の櫃を開けてみると、
なんと中から美しい男の子が出てきました。
大いに喜んだ脱解王はこの男の子を閼智(アルチ)と名付け、
また金の櫃から生まれたとして「金」の苗字を与えました。
このとき与えられた金の苗字が現在まで脈々と続く慶州金氏の始まりです。
その後、始林と呼ばれていたこの場所は
木の下で鶏が鳴いていたことから鶏林と呼ばれるようになりました。



半月城・石氷庫(パヌゥオルソン・ソッピンゴ)
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半月模様に築かれた新羅の城跡で、朝鮮時代の天然冷蔵庫を発見。
自然の丘陵を削って作られたこの半月城(パノォルソン)は、
南に川を置いた自然の要塞。
東には絢爛豪華な雁鴨池(アナッチ)があり、当時はさぞかし雅な姿だっただろうと推測されます。
ただ残念なことに現在は何も残っておらず小さな建物跡が残っているだけ。


慶州に来たら絶対食べなきゃいけない
慶州一有名な皇南パン
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慶州は盆地でして・・・。
韓国の熊谷と言われるほど(私が勝手に名づけただけですが・笑)
この日も例外になく暑い(らしい・・・)
現地の人には、「何で真夏に慶州に来るの?」と言われ、
何て事はない、ただ知らなかっただけ!!

炎天下の中、古墳巡りをしていて、すでにヘトヘト

待ちに待った昼食。

慶州のグルメと言えば、やはりサンパッ料理!
たくさんのおかずがテーブルいっぱいに並び、
そのおかずを新鮮な野菜で包んでいただく料理がそのサンパッ!

全州チョングッチャンブルゴギサンパッ
       
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見てください、この皿数!!



To be continued・・・

 

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