こんばんは✨

前回のブログで言っていた青いゴム、つまようじや糸ようじをつかって、何とか取り除くことに成功しました・・・
今度、優先的に予約を入れさせてもらえることにはなったけど・・・ほんとにモヤモヤ(´・ε・`)

今度会った時の対応で、通院を考え直さないといけないなぁと思います。

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さて、タイトルの話をします。
12月になると、5年前のことを思い出します。

5年前の12月9日。
この日から仕事を3ヶ月休みました。
仕事を休む3か月前にも1週間の休養を取ったこともありました。

理由は、  
適応障害 になったためです。

仕事ぶりを認めてくださる方がたくさんいる一方で、上司のとある言動が、私の心をだんだんと沈めていくことになりました。
結果として、適応障害と診断を受け、大量の仕事を受けていたのに、中途半端に離れることに。
 
私は、なるべく早く復帰したいと思い、主治医と話して、年度末の2月中旬に戻れるように診断書を書いてもらいました。
しかし、上司は、目の前で封を開けて診断書を確認してから、一言。
「これは、書き直してもらいましょう」
と言って、私にお付きの人(同僚)を付けて、もう一度病院に行くように促しました。

結果として、泣き崩れた私は抱え込まれるように病院に連れていかれ、診断書も書き直されました。

その上司は休んでからも、私を苦しめ、
(sachiには)連絡するな と同僚に言い、
休んでもこの仕事はするように と私に言い放ち、
挙句の果てには
休職の書類を職場に届けに来る時は、あまり人に見つからないように、こっそり来て
という始末。

もしかしたら、私のことを思ってだったのかもしれないけど、それはハッキリ言うと私のためでもなんでもない。
自分の地位を守るためだったんだなぁと後からよく分かりました。


さらに復帰してからも、
私が担当の仕事を勝手に他の人に回したり(明らかに意図的)、私のことを認めてくれている人達が、私の事を助けようと訴えに行っても聞く耳持たず・・・

それはそれは、史上最低な上司でした。

私は苦手な人がいても、嫌いになることはなかったのですが、
生まれて初めて、人を嫌いになりました。
それぐらい信用できない人でした。


だけど、周りの人はちゃんと見ていてくれていて、
誰もが、
sachiはよくがんばってるよ。
sachiさんの仕事ぶり見てて、ちゃんとしてるのに、何でああいう扱いするか分からない
といってくれました。 

それが私の心を救ってくれました。

その後、転勤して職場が変わり、新しい環境で、また新たな出会いと仕事が待っていました。

その時のメンバーがとてもいい方ばかりで、チーム一丸となって仕事ができ、この4月に転勤するまでの3年間、ほんとうに楽しく仕事ができました。
私の頑張りもたくさんの方に認めていただきました。私の転勤がわかった時、泣いてくれた人もいました。

この4月から転勤で実家からはやや遠いところに職場が変わりました。
今回は、転居を伴う転勤だったため、最初はコロナ鬱っぽくなってて、慣れるまでに時間がかかりましたが、仕事ぶりを認めてもらい、

今、私は、笑えています。

どん底を経験した私は、この5年で這い上がってきました。
ひたすら真摯に仕事に向き合い、プライベートも充実させてきました。

今でも、時々フラッシュバック的なものは起きます。
極度の不安状態になると眠れなくなることもあり、
お守り代わりの精神安定剤で、やっとこさ眠るということもあります。

けど、
今を楽しみ、
今の自分があることに感謝している私は、
5年前から大きく成長した
と、胸を張って、言えます。


今日で5年。
5年前のことで愚痴愚痴言うのは、終わりです。

愚痴ばっか言っても、いい気分にならないし、
プラスのことをたくさん口にしていきたいなぁと。

プラスのことを言えば、いいことがたくさんある!
と最近ようやく学びました(笑)😌

これから、また次のステップに向かって、
感謝の気持ちを忘れずにやっていこうと思います。


ありがとうをたくさんの人に伝えられるように
また1歩ずつ少しずつやっていきます爆笑


気持ち新たに前に進もうとしているsachiでした
(​ *´꒳`*​)