私は、1976年生まれの44歳です。

自分が子供〜学生時代は1980年〜90年代が、どストライクです。
プリプリに出会い、摩季姉さんに出会い現在に至る。
昨年リリースした、竹内まりやさんのアルバムのカバー盤で、ある歌手の存在を知る。

弘田三枝子さん。

昨年出した、まりやさんのアルバムのなかに入ってた悲しきハートの歌詞カードに「小さいときに弘田三枝子さんが好きで〜」と書いてあり、まりやさんのリスペクト歌手が気になってググる。
You Tubeで動画をひたすら観る。

体が勝手に反応。
衝撃、走る。
歌、うますぎるやろ?

なんで私、もっと早く知らなかったんだろう。

彼女がたくさん出ていた頃を全く知らなかった。
それから気になりブログとかチェックしたりしてたけど…

7月21日に、いきなり亡くなってしまう。
いろんなことを知る前に旅立たれた。。。

それから私は、亡くなってしまったことがショックすぎて、忘れられなくて、更にミコちゃんソングを聴く。
(まだ知らない歌のほうがたくさんあるが)

1960年代の白黒の映像も、1980年代のバブリーな感じの映像も、最近までの現役で歌ってる映像も全部拝見した。

あぁ…………
もっと早く出逢いたかった。
あまりにも遅すぎた。。。

歌い手さんが亡くなっても
歌は永遠に生き続けます。

いろいろ調べるうちに、戦後1960〜は、外国の曲に日本語の歌詞をつけてカバーするというスタイルだったのね。
信じられなかったのが、ひとつの歌を何人もの歌手が競って歌って出してたという点。
○○○バージョン、■■■バージョンと。
当時、そんなに音楽の作り手が居なかったのかな?

今あるJ-POPの発展は、ここから始まってたのかな。
1960年代に弘田三枝子さんが出て、かなり昔のダサい言い方をすると「外国カブレ」な歌は当時、とてもセンセーショナルだったかもしれないね。

令和になってもセンセーショナル

カロリーという言葉を広め、ダイエットの先駆者も弘田三枝子さんらしい。
日本人が英語の歌を歌う開拓もして、凄い功績だな。

亡くなったスターの映画を何度も観てる人、戦国武将の聖地巡礼をする歴女たちのキモチがとてもわかるようになったよ。

歌い手さんには歌が残るし、俳優女優さんには映画やドラマが残り、アスリートには試合映像が残る。

好きだったという過去ファンもいますが、亡くなってからも好きになりましたいう今回の私のような未来のファンも居るんですよ。

亡くなってからも(or解散してからも)好きになりましたのファンにとって映像のありがたさは、ハンパなくて励みになります。

アーティストの皆さん、これから
映像、残してーーーーーー!
それしか頼れないファンも居るんです。

あと、ミコちゃん調べをしてよかったこと。
メディアは、アメリカンPOPSとか、人形の家を取り上げがちですが、

JAZZが、めちゃくちゃカッコいい!

レコード(CD音源)は安定感があるけど、ステージで歌う動画ばかり見ちゃいます。
歌の伝わり方や響きがハンパない。

JAZZも好きになりました。
知らない歌がたくさんあるから、楽しみが増える。

You Tubeコメント欄を見て、整形と晩年の声量についても言及してますが、ファンならそこも愛せと思う。

あと、ミラクルひかるさんが弘田三枝子さんのものまねしてるのを観た視聴者が本人を調べるためにYou Tubeを観にきました、というコメントがたくさんあった。

ものまねは
ファンにとっては怒りがこみ上げるときもある。
後世に歌を伝えるエンターテイメントにもなる。

これから伝説になっていきます。
たくさんの思い出を抱えたファンのかたは、キモチの整理をするまで時間がかかりそうですが。
私のような何も知らない出遅れたファンの為に、情報をシェアしてください、とお祈ります。




そして、
拝啓 弘田三枝子
あなたの歌のうまさに今頃気づいたファンが
ここにいます。
歌を忘れないという応援をしていきます。
ご冥福をお祈りします。