さちぽざのブログ

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心の趣くまま魂の感ずるままに✨お読みくださりありがとうございます...

 

こんにちは^^ポオザですハート

梅雨の合間にふと青空が見える日がありますね。

雨の日も晴れの日も必要だからこそ

自然はバランスを保っているのだなと感じます。

 

私たち人間もまた同じで、人生や家族関係の中には、

表からは見えない「バランス」が存在しています。

今日はカウンセリングの現場で長年たくさんの家族を見てきた中で、

私が感じている「ひとつの法則」について書いてみたいと思います。

 

完全に見えるものほど、どこかに歪みを抱えている

 

私はこれまで多くの方の相談を受けてきました。

その中で時々出会うのが 周囲から見れば理想的に見えるご家族です。

ベル仕事もできる
ベル地域からも信頼されている
ベル家庭もきちんとしている
ベル子育ても熱心

誰が見ても「素敵なお母さん」「理想的な家庭」と映るようなご家族です。

ところがお話を伺っていくと、そこに何らかの課題を抱えたお子さんがいたり

家族の誰かが生きづらさを感じていたりすることがあります。

最初は不思議でした。

なぜこんなに素晴らしい家庭なのに問題が起きるのだろう、と。

しかし、長年さまざまな人間関係を見つめてきて感じたことは

もしかすると、完全に見えるものほど、目に見えない「歪み」を内包することで

全体のバランスを保っているのではないか、と。

 

歪み(ひずみ)は悪いものではない

 

「歪み」という言葉には少しネガティブな印象があるかもしれません。

けれど私がここで言う歪みとは、悪いものという意味ではありません。

例えば物理の世界では、一箇所に大きな力がかかると、その力を逃がすために

別の部分が少し変形します。そうすることで、全体が壊れずに済むのです。

 

関わり合うエネルギーのバランスと考えれば、家族も同じかもしれません。

誰かが強い責任感を持ち、完璧を目指し、家庭を守ろうと頑張れば頑張るほど

別の誰かがその緊張を和らげる役割を担うことがあるように。

 

しっかり者のお母さんのもとで育った娘さんが、少しおおらかであったり、

片付けが苦手だったりすることがあります。

それは単なる欠点なのでしょうか。

あるいは、

家族全体のバランスを取るために生まれた一つの自然な現象なのでしょうか。

私は後者であることも少なくないのではと感じています。

 

親の課題と子どもの課題

 

相談の中でよくあるのが、

「この子の将来が心配なんです」

という親御さんの声です。

もちろん親として心配する気持ちは自然なものです。

けれどその時に私が考えるのは、

「それは本当に子どもの課題なのか、それとも親の課題なのか」

ということです。

子どもがまだ困っていない段階で、親が先回りして問題を解決しようとすると、

その子が自分で学ぶ機会を奪ってしまうことがあります。

人生は失敗から学びます。

片付けられないことで困ることがあるかもしれない。

人間関係でつまずくこともあるかもしれない。

でも、その経験こそがその人だけの人生を創っていく大切な材料になります。

私たちは時に、大切な人を愛するあまり、その人から「失敗する権利」を奪って

しまうことがあります。

 

見守ることも愛

 

子育てでも、人間関係でもそうですが、

本当に難しいのは「手を出すこと」ではなく「見守ること」の方です。

特に、責任感が強く、真面目で、一生懸命に生きてきた人ほど、

「私が何とかしなければ」と思いやすいものです。

でも、人生のある段階からは、

「この人にはこの人の課題がある」

と、信頼して見守ることが必要になります。

相手を変えようとするのではなく、

その人が自分自身の経験を通して成長していく力を信じる。

それは決して諦めではありません。

むしろ深い愛の形だと思うのです。

 

完全でなくていい

 

私たちはつい、完璧を目指してしまいます。

ベル良い親になろう
ベル良い妻になろう
ベル良い娘になろう
ベル良い人になろう

けれども自然界に完全なものが存在しないように、

人もまた完全である必要はないと思うのです。

 

宝石ブルー光があれば影がある

宝石ブルー長所があれば短所がある

宝石ブルーできることがあれば できないこともある

そして、その歪みこそがその人らしさでもあると思います。

 

もし今、家族や身近な人のマイナスな面に悩んでいる方がいたら

こんな視点で眺めてみてください。

「これは本当に直すべき問題なのだろうか」

「もしかしたら家族全体のバランスを保っている大切な役割なのではないだろうか」

そんな風に見方が少し変わるだけで、心がふっと軽くなることがあります。

 

完全さの中に見える歪みとは、

良くも悪くも、それはその家族が今日まで生き抜いてきた歴史の証。

全体の中で、誰かがその役割を担ってくれているのかもしれない…と。

そう気づけたとき、

悩みは解けはじめ、自分自身の在り方がが見えてくる。

ただ、愛でありたい…と。

ならば、

そうなることでしょう。

 

 

庭のクチナシの花が咲き乱れはじめましたラブラブいい香りですラブラブ

花言葉は「とても幸せ」です。ああ〜梅雨もまたよし音譜

 

 

爆笑いつもお読みくださりラブラブ
「いいね」もありがとうございますラブラブ音譜

 

 

こんにちは^^ポオザですハート

気がつけば気づき6月に入っておりますね!

私にとって6月は、一年の中でも比較的予定の多い月です。

プライベートなイベントごともいくつか控えており、

日々の仕事もありがたいことに、そこそこ忙しく過ごしています。

 

季節は梅雨へと向かい、湿度や気圧の変化も大きくなると私たちの心身にも

なにかしら?影響がある時期でもありますね。

若い頃はあまり気にもしなかった、自然の変化と心身との関わりについても

年齢を重ねるにつれて、少なからず影響を与えていることを感じています。

 

さて、そんなことから今回は、最近改めてリアルな体感・実感をベースにした

「自分の体と向き合うこと」について書いてみたいと思います。

 

鉛筆

私は現在「4毒抜き」と呼ばれる食事法を実践して1年10か月ほどになります。

これまでの経過については以前のブログでも何度か書いてきましたが、総合的

に見れば体調は安定しており、おかげさまで元気に毎日を過ごしています。

もちろん個人差がありますので、誰にでも同じ結果が出るとは思っていません。

しかし私自身の体験としては、4毒抜きを通じて体の変化を観察し、自分の体を

より深く理解する機会になりました。

 

ところがここ1か月ほど、少し気になることが出てきました。

便通リズムが以前より乱れ、排泄がスムーズにいかない日が時々見られるように

なったのです。大きな不調というほどではありませんが、

私の体の中で「何か?変化が起きているんだな」_という感覚です。

 

私は本業でリフレクソロジーを行っていますので、まず自分の足をじっくり観察

してみました。おや?両足とも反射区36番付近の皮膚が以前より硬くなっている

ことに気づいたのです。しこりのようなものではありません。

しかし、これまでには見られなかった変化でした。リフレクソロジーの観点から

考えると、このエリアは婦人科系との関連も考えられます。

そろそろ年齢的なこともあるし「念のため確認しておこう」

そう思い、婦人科を受診してエコー検査を受けることにしました。

結果としては特に怪しい所見はなく、大きな問題は見つかりませんでした。

これは本当に安心できる結果でした。

一方で、検査中に医師から指摘されたのは、お腹の中に便が滞っている様子は

見られるということでした。

実は、その日も朝は排便できず、昼頃にようやく便通があったのですが、確かに

「快便だったか」と聞かれるとそうではありません。*こういう不快感が続いているわけです💧

毎日排便があることと、しっかり排泄できていることは必ずしも同じではないと

改めて感じています。

現在は医師と相談しながら「桂枝加芍薬大黄湯(けいしかしゃくやくだいおうとう)」

という漢方薬を処方していただき、経過を観察しています。

この漢方薬は、体力がやや低下した方の腹部の張りや便秘傾向、腹痛などの改善に

用いられる漢方薬です。

また、私の場合は夜間にトイレへ起きることもあるので、その背景に婦人科系の変化

や加齢による体の働きの変化がないかという点も含めて観察しています。

まだ服用を始めて数日ですので、これから時間をかけて、自分の体がどのように反応

するのかを丁寧に見て検証していこうと思っています。

 

ちなみに、現在は幸いなことに大きな病気はありません。

しかし、60代を迎え、改めて感じるのは「自然老化」という現実です。

老化という言葉には少しネガティブな響きがあるかもしれませんが、私は決して悪い

ことだとは思っていません。

むしろ生きている以上、誰もが通る自然な変化です。

だからこそ、その変化に抗うのではなく、理解しながら付き合っていくことが大切

なのだと思います。若い頃と同じような生活を続けるのではなく、今の自分に合った

食事、睡眠、仕事のペース、総合的に生活環境を整えていくこと。

それもまた健康管理の一つなのでしょう。

 

今回の出来事を通して、改めて感じたことがあります。

それは「体の声を聞く」ということです。

私は今回のことで健康不安を抱いているわけではありません。

むしろ、未病の段階で体が発している小さなサインを見逃したくないと思っています。

病気になる前には、必ずと言っていいほど「何らかのメッセージ」があるからです。

例えば

ベル疲れやすい

ベル眠りが浅い

ベル便通が変わる

ベル夜中のトイレ(頻尿)

ベル食欲が変わる

ベル気分が落ち込む

 などなど…

体はさまざまな方法で私たちに知らせて気づきくれます。

私は体というものを、自分が一時的に預かっている「お借り物」だと思っているので

だからこそ丁寧に扱いたいという気持ちです。

ベル病気ではないから大丈夫

ベル異常がないから問題ない

そう考えるのより「なぜ今この変化が起きているのだろう」と真摯に向き合いたい。

その積み重ねによって、健康寿命を延ばし、人生の質を高めていくのではないかと

思うからです。

 

ちなみに、現在の私ですが、消化機能の変化にも意識をおきながら生活しています。

特別な予定がない日は、夕方5時頃までには食事を終えるようにしています。

そして、早寝早起きの習慣をしてリズムを整えています。

夜は9時から10時には就寝し、朝は4時から5時には起床する生活を続けています。

すべての人に当てはまるわけではありませんが、自分の体のリズムを知り、それに

合わせて暮らすことは想像以上に大切だと感じています。

 

健康も美容も、特別なことの積み重ねではありません。

日々の小さな選択の積み重ねだと思います。

そして、年齢を重ねた今だからこそ、自分の体(老い)を敵にするのではなく、

人生を共に歩む大切なパートナーとして接していきたいと思っています。

 

もしも今、皆さんの体が何か小さなサインを送っているとしたら、

不安になるのではなく、どうか無視せず耳を傾けてみて欲しいと思います。

 

その声は、これからの人生をより豊かに生きるためのヒント

隠されている_かもしれません。

 

 

爆笑 いつもお読みくださりラブラブ

「いいね」もありがとうございます音譜

 

よく見えないかもしれませんが🦶

 

若石反射区36付近の少々外側に硬くなっている箇所発見サーチ

これもどう変化するか見守ってゆきます〜♪

こんにちは^^ポオザですハート

本日5月17日(日)週末ですが、ルーム予約のない日🗓️となりましたので

ゆったりとソファーに座り(で~んと!! 脚を🪑に乗せリラックスぅ♪&💻on the腿)

またもしばらくぶりですが😅ブログを書こう!と思いますぅ〜♪

 

鉛筆

5月という季節が、私は一年の中でいちばん好きです。

窓を開ければ、やわらかな風が部屋を通り抜け、

新緑が光を受けて色鮮やかに、そして静かに揺れている。
寒すぎず、暑すぎず、空は高く、青く澄んだ晴れの日も多い。
何気ない日常が、

どこか少しだけ美しく感じられる季節です。

 

世の中では「5月病」などと言われますが、

私はむしろ、この時期特有の“落ち着き”が好きなのです。

春先の慌ただしい変化。
新年度、新生活、新しい人間関係。
心も身体も知らず知らずのうちに緊張していたものが、

5月になると少し緩み「ふぅ」と息をつける感覚がある。

頑張り続けることだけが人生ではないのだと、

季節が教えてくれているようにも感じます。

 

人は実に贅沢な生き物です。

冬になれば「寒い」と言い、動きが小さくなる。
けれど、暑くなれば暑くなったで「暑すぎる」と言い、

また行動範囲を狭めてしまう。

 

私は夏が好きです。
太陽のエネルギーが強くなり、気持ちまで前向きになって、

”何かをしたい”という生命力が湧いてくるからです。

 

けれど、近年の東京の夏は、もはや“酷暑”

本来なら、アクティブになりたい(なれる)季節なのに、

現実には外へ出る気力を奪われてしまう日も少なくありません。

そうこうしているうちに、

気づけば秋が過ぎ、年末が来て、また苦手な冬になる。
そして「早く春が来ないかな」と思っているうちに、

新緑の5月がやって来る…

本当に、一年はあっという間です。

若い頃は、

もっと何処かに?行きたかった。
もっと何かを?成し遂げたかった。
もっと認められ?たかった。

壮年期には、

家庭や仕事、人間関係の中で、懸命に自分の役割を果たしてきた人も多いでしょう。
守るものが増え、責任も増え、時には立ち止まる余裕さえなかったかもしれません。

けれど還暦という年齢が近づき、あるいは迎えた今、ふと感じるのです。

 

「これから私は何を求めて生きていくのだろう」と。

若い頃のような?勢いとも違う。
壮年期の充実感?とも少し違う。

もっと静かで、

もっと深く、

もっと“自分自身”に近い場所を、

人は求め始めるのかもしれません。

 

誰かに勝つことでもなく、
何かを証明することでもなく、
ただ穏やかに

「ああ、幸せだな」と感じられる時間。

 

本当はそれこそが人生の豊かさなのに、

人は不思議なもので、平穏無事が続くと、どこか退屈さを感じてしまう。

そして波乱があると苦しい。
けれど、

何もなければ何もないで、刺激を求める。

なんとも皮肉なものです。

 

ただ最近は、その“退屈”と思っていた時間の中にこそ、

実はかけがえのないものが隠れていたのではないか?と

感じるようになっている。

 

何事も起きない一日。
静かな午後。
好きな飲み物を片手に、ぼんやり空を眺める時間。

そんな平和で穏やかに流れる”とき”

「幸せ」と呼べるようになることが、

年齢を重ねるということなのかもしれないなぁ…と。

 

柔らかな風が窓から入るリビングのソファーで、

そんなことをふと考えて書いています。

人生は、晴れの日ばかりではないものね。
むしろ、雨の日が心に残ることもある。

(色んな意味でねっ)

 

だから私は

「雨のち晴れ」が好き気づき

 

先日5/11「天鷹神社⛩️」へ参りました🙏1年があっという間!

五月晴れの素晴らしいよき日となりました♪

 

 

爆笑いつもお読みくださりラブラブ

「いいね」もありがとうございます音譜

 

こんにちは^^ポオザですハート
少し間が空きましたが… 書きたい!という欲望がなかなかわかなかった😅

またこうして言葉を綴れることに、静かな喜びを感じつつ。。ラブラブ

 

鉛筆

さて、今回は「デジタルデトックス」について、

今の私自身の実感をもとに、書いてみたいと思います〜♪

 

気づけば、私たちは日々、膨大な情報の中で生きています。

特にSNSの世界はまさに玉石混合、それぞれが自分に合った情報を選んでいるようでいて、

実はアルゴリズムによって、似たような情報に囲まれ「自分だけの小さな世界」に閉じ込め

られているような感覚になることもあります。

それは多様性とも言えますが、一方で、思考や価値観が知らず知らずのうちに、

意図的に?何者かに?誘導されているような、不思議な圧も感じることがあります。

 

そんな中で、わたしは「疲れ」を感じていました。
日々の生活は、何かに追われているわけでもなく、やるべきことは淡々とこなしている。

それでも、心の奥がざわつくような、パシっ!としない?(表現がむずい😅)感覚が残るのです。

テレビは何年も見ていませんし、ネットもYouTubeも自分なりに選んでいるつもりでした。

ですが、それすらも「やっぱ選ばされているよね」と気づいたとき、ここで一旦リセット!

少し立ち止まりたくなりました。

 

本当は、自然の中に身を置いたり、旅に出たりできれば理想ですが、日常の中でもできる

こととしては「意識的に情報を遮断する時間を持つこと」だな、と。

そんなこともあって、最近のわたしは睡眠をとても大切にしています。とにかく早く寝て

しっかり休む。それだけのことですが、頭と心が少しずつ静まっていくのを感じます。

 

60代:人生の後半に差しかかると、時間の使い方は、以前より自由になります。

この貴重なタームだからこそ、何となく過ごして時間だけを流れさせてしまわずに、

「今日は何を得たか」というより
「今日はどれだけ自分に還れたか」という

そんな視点で日々を見つめてみることの方が、

これからの人生を豊かにする鍵になるのではないかな、と。

 

情報を取り入れることも大切ですが、それ以上に、

必要のないものは「手放すこと」は、心身とも健康に過ごす上では不可欠。
外側から流れ込んでくるものを一度止め、自分の内側の声に耳を澄ませる時間。

それは決して特別なことではなく、
静かにお茶🍵を飲む時間でも…

無心に草むしり🌿をする時間でも… (これ瞑想状態になれるのでオススメです♪)

ただゆっくりを呼吸を見つめる🧘時間でもいい。

 

デジタルデトックスとは、単にスマートフォンを手放すことではなく、
「本来の自分の感覚を取り戻すこと」

なのだと思います。

 

第二の人生を歩む私たちだからこそ、
これからの時間は、より丁寧に、より意識的に

使っていきたいものですね。

 

 

ということで〜爆笑

きょうも心地よくラブラブ

穏やかな一日をお過ごしください音譜

 

 

こんにちは^^ポオザですハート

2月雪の結晶 って、私はなぜかとても苦手です。 

😆寒いし💧バイオリズムも凹のときだし💧

3月キラキラ誕生を前に、母の子宮の中でじっと息づいていたときね。

バイオリズムが凹の時期とは、誕生直前と重なるのかもしれない💧

すべてがただ静かに流れゆくときだから、

大切な「なにか」を見つめ直すきっかけなのかもしれないなぁ…

と。。

 

鉛筆

そんな今朝の瞑想の中で
ひとつの言葉が静かに降りてきました。

「清貧」

どこか懐かしく
そして、少しだけ背筋が伸びるような響きでした。

 

スター

わたしの母方は神社の家系でした。
けれど、祖父は先の戦争で命を落とし
その後、後を継ぐ適任者にも恵まれず
曽祖父の代で神社は途絶えてしまいました。

やむなく廃神社となったその背景に
祖先たちはどんな思いを残した…のだろう。

今さらながら
わたしの中に流れているDNAには
確かに、その家系の時が受け継がれていると
感じることがあります。

 

🗓️

還暦という節目を迎え
これまで年相応にこの世を生き
さまざまな体験を重ねてきた今

自分の幸福だけではなく
自他一体の幸福とは何かを
純粋に考えるようになりました。

 

祖先たちは
どんな思いでその時代を生きてきたのだろう。

神に仕える暮らしとは?
どんな日々だったのだろう。

想像するに_
決して、裕福ではなかったと思う。
むしろ

慎ましく富とは無縁の質素な生活を
日々淡々と生きていたのではないか_ と。

きっと
不足の中で生きるというよりも
決して、多くを求めすぎない生き方。

もしかしたら
これこそが「清貧」だったのではないか_ と。

 

「貧しい」という言葉は
惨めさや欠乏と結びつけられがち⁇ ですが

わたしの感覚では
「貧」には、決して「卑しさ」を含みません。 *貝を分かち合う🤲からね♪*

むしろ

そこには 謙虚さや節度
我欲に振り回されない静けさを感じます。

多くを持たないからこそ
守られる心の透明さ。


分を知ることから生まれる
穏やかな自由

そんな在り方です。

 

 

ただ
それが美徳でありすぎて
世捨て人のように生きることが
本当に望ましいのかと問われれば
やはりそれは違います。

 

現代を生きるわたしたちは
社会の中で働き
お金を使い
人と関わりあいながら生きています。

仙人のように
すべてを手放すことが
清らかさなのではない。

 

この世を生きながら
欲望に動かされながらも

支配されないこと。

 

受け取るべきものはしっかりと受け取り
与えるべきものは余すところなく分与え

心を濁らせることなく在ること。

 

それが
今のわたしにとっての
「清貧」かもしれません。

 

ベル

「清貧」とは
少なく生きることではなく
濁らずに生きること。

 

多くを持たなくても

満ちていることらを知り
多くを持ったとしても

執着しない。

 

与えられたものを静かに受け取り
必要な分だけを使い
残りはまた世界へ返していく。

 

富を否定することでもなく
貧しさを美化することでもない。

ただ
我欲に支配されない自由を
自分の中心に置いて生きること。

 

それが
わたしなりの「清貧」の定義_。

 

 

スター

祖先たちが生きた時代。
大いなる自然を神として仕え
淡々と日々を守り続けた名もなき人々。

 

そのささやかな暮らしの中にあっただろう
静かな誇りや
透明な祈り 
を思うとき

いま自分がここに生きていることもまた
その延長線上にあるのだろうな_と。

 

清らかであること
分を知ること

与えられた命を静かに使い切ることスタースター

 

 

鉛筆

今回は、わたしの中にずっとあった言葉を

静かにそして丁寧に掬い上げてみました。

瞑想中に降りてきた「清貧」という言葉
これからの生き方の指針のような
大切な在り方_なのかもしれない。

それは
何かを足していく時期というより
削ぎ落としていくことで本質が現れる時期
かもしれない。

·       富とは何か

·       豊かさとは何か

·       与えることと受け取ること

·       自他一体の幸福

これらがすべて「清貧」という言葉の中に
静かに統合されているのだな_と感じたキラキラ

鉛筆

 

あぁ。。春🌸待ち遠しい222ゾロ目の日🗓️にて

 

 

爆笑 いつもお読みくださりラブラブ
「いいね」の足あと🐾 ありがとうございます音譜