今回は私自身のプロフィールの意味合いも

兼ねてお話ししようと思います


ネガティブな内容になるのですが、

そのことも含めた上で今の私がある、と

思っていただければ幸いです



転機は2015年


この年は私にとって人生最大にして最悪の、

死を覚悟した時期でした


その頃の我が家は常に諍いがありました

それがいつからなのか、

何がきっかけなのかわからないまま、

元夫は事あるごとに言葉の刃や、

時には暴力で私たちを押さえつけました


彼は夜勤明けで朝方帰宅するんですが

帰るとすぐ飲みはじめるんです

楽しく飲んでそれから寝に行けば良いのに、

飲んでいるそばから仕事の愚痴や、

その日の不満を延々と吐くのです…

聞かされる方はたまったもんじゃありません


私も仕事があるのに、

子どもたち送らなきゃならないのに

飲んだくれの相手なんかしてられないっての!


それ全部相手が悪いわけじゃないでしょ?

自分にも原因あるからだよね?


そんな当たり前なことを言うだけで

彼の怒りの導火線が点火💥するんです…


彼は些細なことで沸点がわき、

自分が常に正しいのだと信じて疑わず

私が少しでも反論すれば、すかさず


お前はいつから偉くなったんだ!

俺の言う事がなぜ聞けないんだ!

誰のおかげで暮らしてると思ってるんだ!


これに限らず、もっとひどい言葉を

投げつけられたこともあります

同時に手を上げられたのも何度も経験しました

壁には凹みやキズがいくつもできました

白い壁紙が投げつけられた汁で染まってます


最初の頃は「ごめんな」と謝られました

でもまた同じことの繰り返し…


この頃、これがモラハラなんだと知りました


それまでは単に田舎者オヤジの

よく見られる気質だと思っていたんです


彼の言動と数多くのモラハラの状況が

まんまぴったり当てはまっていることに

たとえようのない衝撃を受けました



調停へ


時には子どもたちへも手をあげ、

言葉の暴力も凄まじく

長女はそれも一因となり鬱と診断されました


長女と次女は彼と血の繋がりはないため、

娘たちは遠慮がちではありましたが、

だからといって何しても良いはずなんか無い


2015年より数年前になりますが、

鬱が落ち着いた頃に長女を家から出しました

(私が裏で手をまわして独り立ちさせました)


次女もそのあと大学卒業と同時に(翌日)

同じく私が裏で計画し家を出しました


末っ子の三女は彼の実子だったので

被害はそんなではなかったのが幸いでした

が、三女は彼をウザく思ってましたけどね



ほとほと精神的にしんどい状況の中、

絶対に現状打破してやる!と固く心に誓い、

彼のこれまでの数々の暴力や暴言、

たくさんの証拠を記録したものを持参して

弁護士へ離婚調停の相談に行ったんです


ええ、すぐ取り組んでいただけましたとも!



家を出る決意


当時住んでいた家は品川区内の戸建で、

9割以上を父の遺産から出して購入しました

なので、出て行ってくれと要求したところ、


俺はどこにも行く気はない、権利もある


と言って引きませんでした


調停ではDVは認めましたものの、

別れたくないの一点張りだったそうです


同居しながらの調停だったので

家での緊張感はかなりハンパなかったです



いつ突然襲われるか

いつ刃物を向けられるか

寝てる間に首を絞められやしないか

と、気が気ではなく、

生きた心地がしませんでした


自分の家なのに心休まる事なんか

これっぽっちもなかった



誰のおかげで暮らしてる、だ?


誰の金のおかげで今も雨風関係なく

好き勝手に酒飲んで暮らせてると思ってんだ?

あ!?

あんたじゃない!

私の父の金のおかげだろうが!

それなのに出ないって?

マジふざけやがって!クソッタレ!!

そんなら私が出ていく!


思い立ったらその後が早かった


猫もいたため賃貸ではなく売買を選び、

駅近の2LDKを審査にかけてもらったところ、

融資限度の条件は若干付きながらも、

めでたく住宅ローン審査が通りました笑い泣き


当時の年収がやっとの400万、

ここ数年のゴタゴタで家にいるよりも

仕事に精出した結果と思ってます


ヤツよ、頑張らせてくれてありがとう


「悔しかったらもっと稼いでこい」


↑こんなモラハラ発言の賜物です



決行当日


ローン契約も無事終え、

鍵の引き渡し、引っ越しの手配などなど

極秘に淡々と進めました


三女には引っ越すのを理解してもらい、

引っ越しても小学校は変わらないことも

希望する中学に近いことも合意です


当日は地域の神社の大祭日でした

信じられないという目をした彼を横目に、

トラックに必要最低限の荷物を積み込み

黙々と私たちは家を出たんです


悔しくて情けなくて、

なんで私が出なきゃいけないんだろう、

何より父に対して申し訳ない気持ちでした


絶対この家は取り返す!

そんな気持ちで新しい生活が始まりました


それでも安心した試しはなく、

いつもあとをつけられていないか振り返る

クセがつき、変わらず不安の中にいました


それでもようやく安心して眠れる場所が

やっと出来たことが心底嬉しかったです



長くなりそうなのでここで一旦区切ります



余談


多分ですが…

私自身この怒りに似た心境をすっぱりと

解放しない限りは物事が滞ったままだと

思ってます


あらゆる感情、感覚が何年経っても

この一件に絡みとられたままなのです


私が相手に抱いたのは憎しみではなく

怒り、悔しさ、虚しさ、そんな感情です


許したら良いとよく聞くけれど、

ここに書いてないこともたくさんあるので

到底簡単に許せますなんて言えません


そのへんの心情を察していただければ幸いです





エピソード1 革命