優ちゃん、あなたがお空へ還ってから、お母さんの頭の中はいつも優ちゃんで一杯です。   

優ちゃんが見えなくなって、お母さんがどう過ごしてきたか。何を支えに生きてきたか。
整理をしてみようと思います。

振り返りたくない部分もあるけど、現実を受け止めるために振り返ります。

私は『優香の魂は生きている』ことを信じています。

2018年4月27日(金)17時15分頃
愛娘 優香は交通事故にあいました。
大好きな猫を見に行く途中でした。

 私は中学生の次男の参観日が終わり、帰って駐車場で電話をしていて、ちょうど終わったときでした。

娘の友だち二人が走って私の勤め先の事務所へ行きました。中から従業員のHくんが出てきて、「優ちゃんが車にひかれた!」と私に言いながら、子どもたちふたりと走って行きました。私も「うそでしょ!」と思いながら、走って行きました。

走りながら「骨折ぐらいでありますように」と祈るような気持ちでした。

倒れている娘のところまで行くと、唖然としました。
脈をとったけど、触れず、直ぐに心臓マッサージをしました。
一緒に来たHくんに「AEDを借りてきて‼️」と言って、ひたすら心臓マッサージ、人工呼吸をしました。「優香、頑張れ」と言いながら心臓を押しました。
AEDがきて、つけたけど、器械からの返事は「そのままマッサージを続けてください」でした。「なんで!!」と思いながらひたすらマッサージをしました。
しばらくすると、近くの病院の医者や看護師、救急車がきて、替わってくれました。

除細動をかけるための心臓の波形が出ないため、ひたすら心臓マッサージでした。

ドクターヘリで救命救急センターへ行くことになり、ヘリポートまで救急車で行きました。
ヘリに乗るとき、医師から「お母さん、娘さんは厳しいかもしれません。でも、行きますから」と言われました。私は、この言葉に唖然としました。「えっ、優香が助からないっていうこと?」耳を疑いました。
ヘリの中で「優香!頑張って!」と叫び続けました。
救命救急センターのヘリポートに着いたら、夫が待っていました。夫は病院のある方面へ仕事に来ていました。私は歩くことができず、車椅子でセンターに行ったのを覚えています。

センターに着くと、優香は処置室へ入っていました。直ぐに駆け寄ってくださった方が、これから私たちのことを支援してくださる、県警の被害者支援室のFさんでした。女性のかたで、私たちのことを親身に考えてくださる方でした。ほんとうに助けていただきました。

今、書きながらも、こうやって文章に残すことに何の意味があるのかと自問自答しています。

でも、優香のこの世での最後を残すことは優香が生きていたことの証だと思うのです。

だから、苦しくても悲しくても、残そうと思います。
私自身のために

今回はここまでが限度かな。
書けるときに、続きを書いていきます。