2回目のお盆を迎えています。
優ちゃんが
「優香、居るよ」と伝えてくれる
些細な事象が数回ありました。
「優香だね、優香がいるね。」
そこに居合わせた私と私の妹夫婦。
笑顔になりました。
『悲しみの秘義』を読み返しました。
心に残った文章を書き留めます。
かつて日本人は、「かなし」を、
「悲し」とだけでなく、
「愛し」あるいは「美し」とすら書いて
「かなし」と読んだ。
悲しみにはいつも、愛しむ(いつくしむ)
心が生きていて、そこには美としか
呼ぶことができない何かが宿っている
というのである。
ここでの美は、華美や華麗、豪奢とは
まったく関係がない。
苦境にあっても、日々を懸命に生きる者が
放つ、あの光のようなものに他ならない。
人生には悲しみを通じてしか開かない扉が
ある。悲しむ者は、新しい生の幕開けに
立ち会っているのかもしれない。
単に、悲しみを忌むものとしてしか
見ない者は、それを背負って歩く者に
勇者の魂が宿っていることにも
気がつくまい。
ー悲しみの秘義よりー
悲しみの扉を開ける勇気
優香が贈ってくれる愛を信じて