私が『人間嫌い』を自覚したのは
40代になってから。

正確には、人間が怖いのだと思う。


人間って…
人の優しさを利用するでしょう?

表と裏があるでしょう?

相手を見て
いくらでも態度を変えるでしょう?


人間って…
汚さが無いと生きていけないでしょう?




私は ただの世間知らずの馬鹿だから…

本当にお金に困っている知人を
どうしても助けたくて、
母に頭を下げてまでお願いして
お金を用意したり…

友人が悲しそうな時、
明け方まで話を聞いて
睡眠時間が1~2時間の日も度々あったり…

大切な人が少しでも有利になる様に
ありとあらゆる協力をしたり…

重度の鬱の友人を病院に連れて行き
毎回、通院に付き添ったり
気分転換にあっちこっち連れ出したり…



みんなその時は、
凄く感謝をしてくれる。


けれど、私が本当に困った時に
助けてくれた人は誰一人と居なかった。



お金を貸した知人はその最たるもので
『泣き落とし』を心得ていた。

借りる時、
号泣して情に訴えて来る。

借りた後も
『あなたは本当に優しい人』だと
泣いて感謝の気持ちを伝えて来る。

…が、

結局、3分の1も返して貰えなかった。


そして、
『もうお金は1円たりともお貸しできない』

と伝えてからは、
彼女から連絡が来る事は無かった。



はい、全ては私の判断で
私が納得して行なったものであり、
自己責任。



私はあまりにも
人との関わりが少な過ぎた為、

万人に『良心』というものが
備わっていて

『心を尽くせば分かり合えない人間はいない』

というポリシーを持っていた。

だから、全力で向き合ってきた。



それが間違いなのだと気づいてから
私は、人と距離を置く様になった。


きっと、

『愛想は良いのに
しっかりとバリアを張っていて
どこか心を開けない人』

と思われているだろう。




だけどね、

私は本当に
ブログを書いてて良かったな…と
思っています。


当てにならないリアル友より
遥かに
心を支えて下さったブロ友さんには
感謝しかありません。


旧ブログからのブロ友さんは、
私を見離さなかった。


私がどんな酷い状態の時でも
ずっと、ずっと…
辛抱強く私を見守って下さり
温かい声を掛け続けて下さったご恩は
生涯忘れる事はありません。




どんなに有り難く感じる事でも
それが常に続くと
『当たり前』になってしまい
感謝の気持ちを失ってしまいます。


そして、
あまりに真っ直ぐで
献身的な愛情を向けると、

相手は安心して つけ上がります。

良かれと思って向けた愛情が
相手を堕落させる事さえあります。


余程の人格者でも無い限り、
人の優しさを利用する様になります。


私には、その見極めが出来なかった。


なぜなら

『心を尽くせば分かり合えない人間はいない』

と、思っていたかったから…





動物はね、

ただ、ただ、純粋なのです。


間違っても
相手の優しさを利用したりしない。


一度 信じた相手の事は、
無条件に 生涯、愛し抜く。

他者の言動に惑わされること無く
自分が信じた相手を
命の限り 愛し抜く。

それが、動物なのです。


動物の魂の美しさを知ってからは、
私は、もう二度と
人間として生まれたくない…

と、思った。



だけど、
ここで出逢ったブロ友さんのお蔭で…

また、少しだけ
人間を信用してみようかな?

なんて思える様になって来たのも
本当です。




ア◯ラー心理学で言う
『課題の分離』は、

私みたいに
自分を簡単に平気で犠牲にしてしまう
人がよすぎるタイプが、

他者に接する時の心構えとしては
非常に有用な理論ではあるけれど、


『接する相手』が
私の様なタイプの場合は、
逆効果になります。


私は、ブログという場所で、

『どんな時も』

『変わらず』

『心を寄せて』

『手を差し伸べて』

『心配して』

下さる方がいらっしゃると言う事を
生まれて初めて実感しました。



もし、私が ここで、

『それは あなた自身の課題であり
あなた自身が考え、解決すべきだ』

という態度で突き放されたなら、

私の『人間嫌い』は更に悪化したであろう。


手を差し伸べて
手を離さずに引っ張ってくれる存在が
必要な人も居るのですよ。



ですので、
ア◯ラー心理学の『課題の分離』が

適用外の方もいる、

という事も特記しておきます。





リアルタイムのサチさん照れ