★【カタカムナ 生命の神業64 宇宙に結ばれる武③】★

 

 

★このブログは2023.11.08にyoutube配信した内容をそのまま まとめたものです★

 

【カタカムナ 生命の神業64 宇宙に結ばれる武③】

こんにちは! ゆかりです
今回は【カタカムナ 生命の神業64 宇宙に結ばれる武③】です。

大野朝行さんの書籍「カタカムナで直感する 神人一体の合氣」等
を参考にお話しさせていただきます。


項目
1.魂の合氣の実例
2.遠達性の力を使うその他の例
3.日本は古より真人の真国




1.魂の合氣の実例

ここから、大野さんの魂合氣の実例をお話しします。


寝ている人を楽に起こす
これをやってみましょう。

受けは仰向けで寝ます。取りは受けの右肩付近に、なるべく体を伏せずに座ります。受けのうなじに左掌を当てて接触面を感受します。
そして「トリヰ」と唱えると、自分の体も、受けの体も、周りの環境も整います。

続いて「アマノミナカヌシ」と丁寧に唱え、肘から曲げるのではなく、肩からゆっくりと手を上げます。すると受けは楽に起き上がります。

また、力を全く使わずに受けが起き上がることもあります。

掌の動きがきっかけで、受けが自分から起き上がるからです。

こうなれば、思わず笑いだすほど心地よいでしょう。


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このような遊びを繰り返しているうちに、言魂を唱えると、取りも受けも自分の体の状態が変化するのを感じるようになります。取りが掌を上げる前に、受けが起き上がるということがわかってしまうのです。これが「未来を今に引き寄せる」ということなのでしょう。

カタカムナの言葉は言魂(神の教え)ですから、体の中の状態を変えて、

これが正しいよ。と教えてくれるのです。

この状態を感受する感受性も鍛えましょう。


最初は姿勢が大切ですが、実は言魂は奥が深いのです。

受けの感受性が優れていれば、脇に座って言魂を発するだけで、

触れずに起こすこともできるようになります。

「アシアトウアン」や「サルタヒコ」を使ってみましょう。


それで、ここ重要なんです。
取りが、カタカムナの言魂を唱えたときのように、自分自身の感覚を変化させることができれば、つまり、言魂を唱えたときの体の感覚を再現できれば、受けにもその感覚が伝わって受けは起き上がります。


これらのことが、細胞同士の共鳴で、お互いの細胞がつながったということです。

むすびです。受けが感受してくれているということ、取りと受けの細胞が一つになっているということなのです。



遠達性の力で起き上がれた受けは、「私は腹筋を使って起き上がれません。それなのに何で起き上がれてしまうのでしょう」と不思議がっていました。受けに触れて受けを動かす場合にも、受けから離れて動かす
場合にも、近達性の力(筋力)は使いません。遠達性の力(神の力)を使います。

関連動画

 

 

 

 

 




2.遠達性の力を使うその他の例

ヒ)初心者に最初にやってもらうやり方です。立って両手を出して、その両掌の上に両手を乗せてもらいます。そのまま取りが後ろに歩くと、手は離れずに受けはついてきます。




フ)ヒと同じ要領ですが、今度は、受けとの掌の間を大きく離します。取りが後ろに歩くと、受けは磁石でつながっているかのようについてきます。さらにずっと離れても同じです。取りの動きに乗って、受けが動きます。

 

 



ミ)両者とも腕を下ろして、取りが後ろへ歩きます。それでも、受けはひかれるようについてきます。取りは自身の体の感覚を覚えて、その感覚を再現するのです。これは細胞と細胞の共鳴です。


「ここまでできるのに、どれくらいかかりますか?」と聞く人がいますが、期間ではありません。大事なのは、体が柔らかく思考が柔らかいこと。それと意識のあり方です。これらの条件が満たされれば、すぐに取りでも受けでもできるようになります。満たさなければできないでしょう。
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意識のあり方は、平和な、穏やかな、優しい気持ちでいること
そういう波動は、受けの細胞が感受して受け取るので、
共鳴が起きるのです。
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ヨ)立っている受けの横に立って、受けの背中に片手(掌は背中に向けても下に向けても構いません)を胸の高さほどに上げます。それを力を入れずにフワッと下ろします。すると、受けは後ろに崩れます。

 

 



イ)受けの左腕を、取りは右手で掴みます。そして手をそっと離せば、受けはその場に崩れます。

受けの感受性が上がればすぐにもできることです。
なぜ、手を離すだけで受けは崩れてしまうのでしょうか。細胞同士の共鳴です。共鳴して転がることが心地よいので、受けは転ぶと笑いが生じます。これを何度も行っていると受けの体はどんどん柔らかくなります。

 

 



ム)さらに深くなると、腕も体も動かさない、何も考えていないのに受けが転がります。こうなるとなぜ転んだのか、見当がつかないこともあります。

魂の合氣は、体と思考を柔らかくすること、感受性を身に着けることが大切です。こうして遠達性の力を使うことで、現代のスポーツとは全く違ったものになります。魂の合氣は、闘いに強くなるものではありません。頑張るのではなく、緩む遊びといったら良いでしょう。

 



※古来の日本文化は、ほがらかで優しさにあふれているように思えます。闘うことも頑張ることも必要ないんだよって、オホが教えてくれるのが聞こえてくるようです。これは、私の勝手な思いですけど。

では、次に参ります。

 



3.日本は古より真人の真国

荒深道斉は戦前の神道家ですが、彼は昭和6年以後に約20回に亘って、六甲山の山頂及び山麓を探査して、数多(あまた)の神跡及び古跡を発見しました。

そしてついに、
「少なくとも一万三千年前の吾が民族は非常な大文化を有していたことが、巨石建造物の遺跡の発見で解ってきた」 さらには「六甲山は古跡の展覧場にて国民の認識を高めしむる八咫鏡である」(「古神道秘訣」八咫鏡p173)と書き残しています。



さらに荒深道斉は、次のように記しています。


「人の魂には下り魂と上り魂とありて、下り魂の人を真霊人(まひと)とし上り魂を禍霊人(まかひと)となす。人には聖人(ひじり)、常人(つねひと)愚人(おろかひと)、白痴人(ふぬけひと)の四階級(よきざ)ありて、其内聖人、常人は真霊人にて、愚人、白痴人は禍霊人という。

何時の世にも真霊人と禍霊人は半ばづつ生まれるものなれども、この日本の元津島根は古より真人の真国なりしが、今は外所世の禍霊人の教え入りし国となり、天地大法事(あまつおほのりごと)を忘るるが故に禍霊人多くなれり」
(「古神道秘訣」神之道(かんながらのみち)初学p35)


大野さんは、おっしゃいます。
日本の文化を知り己を知る上で、この言葉は心に深く残りました。
上り魂を禍霊人としているのは心のあり方ですが、これも納得です。

なぜなら、人より抜きん出て上に立とうとする世の中ですから、

これを上り魂というのでしょう。氣は下げておくのが良いのです。


天地大法事(あまつおほのりごと)とは修理固成(つくりかためなせ)の大法をいいます。この言葉は「古事記」にあります。

天津神の諸々の命(みこと)もちて伊耶那岐の命・伊耶那美の命の二柱の神に、

「このただよえる国を 修理(をさ)め固め成せ」と詔(みことのり)したとあります。この天命は今に続き、これからも続く大法なのです。

これを万有万神の諸々と共に成していくのが私たちに与えられた天命であり、壊してはならないのです。


「これを忘るるが故に禍霊人多くなれり」とありますが、外国の教えに追従することは、禍霊人になりかねません。遠達性のアワの力を使うことは真人を作る道として大事であり、そのために合氣道は神々によって作られたのです。


また、心について「大空も地球も生きものにて心は必ず有り、然れどもその体も心も甚大にして微小なる人には知るに難きも、甚だ強き心あり、又強き力ある事を忘るべからず」(「古神道秘訣」神之道(かんながらのみち)初学p16)と記しています。

なるほど、根元であるアマ・カムに心がありますから、アマ・カムの生み出す大空にも地球にも、万象万物にも心があるのが当然なのです。



※ここまでなんですけど、、、、だから、アマ・カムとも以心伝心あるんですよね。当然あるんですよね。
すごい、ありがとうございます。っていう感じです。



今回はここまでです。

参考書籍や関連サイトと、この動画のブログのURLも
説明欄に貼り付けておきますので、
よろしければ参考にされてください。
ブログのタイトルは「宇宙と地球のメモ帳」です。




最後までご視聴ありがとうございます
モロカゲサチ~(^^♪
ではまた