★【カタカムナ 生命の神業57 神人合一の理と合氣道①】★

 

 

★このブログは2023.8.30にyoutube配信した内容をそのまま まとめたものです★

こんにちは! ゆかりです
今回は【カタカムナ 生命の神業57 神人合一の理と合氣道①】です

大野朝行さんの書籍「カタカムナで直感する 神人一体の合氣」
を参考にお話しさせていただきます。

項目
1.植芝盛平について
2.病気をなくすことが合氣の道
3.天命に従って生きる



1.植芝盛平について

植芝盛平は33歳で武田惣角から大東流柔術の免許を
得ます。そして大正7年35歳で大本教に入信しました。
大本教は出口王仁三郎と出口ナオという霊格の違う
教祖によって当時、大きく発展したんです。

さらに37歳にて、大本教の聖地、京都の綾部に
修業道場植芝塾を開設して修業に没頭します。
また41歳のとき、出口王仁三郎と一緒に
蒙古(モンゴル)に入り、様々な経験をしました。

当時の中国大陸は日本の戦国時代そのままの乱世で、
寸分の油断も許されない時代でした。
このとき、植芝はすごい体験をしているのです。
それは……

銃弾が飛んでくる瞬前に、白い平べったい氣体の球が
飛んでくるのが見えるので、 それを躱すと 実弾は
その後から流れていくということが何度かあったのです。
これは飛んでくる銃弾をスイッ、スイッと除けたという
ことです。一霊四魂に守られていたのでしょうね。


で、ついに昭和15年、57歳で合氣を開眼しました。
それを合氣武道と称し、昭和17年からは神道を取り
入れて合氣道と呼称しました。
植芝は出口王仁三郎から神道を学んだため、
「合氣神髄」には神道の教えが多く用いられて
います。


神道には神示が付きものです。
神示の多くは国常立大神(日月大神)から
下ろされたもので、
ここには神に成長していくために何が大切かが
示されています。




そして、合氣神髄 p24に 次のようにあります。


「昭和15年の12月14日、朝方2時頃に急に妙な状態に
なりまして、禊からあがって、その折に今まで習って
いたことの技は、全部忘れてしまいました。あらため
て先祖からの技をやらんならんことになりました。
この技は氣育、知育、徳育、常識の涵養であります」

ここまでですが、


涵養は、自然にしみこむように、養い作ること。
ということです。 で、この文の中の
禊からあがったら 「全部忘れてしまいました」
という言葉に大野さんはとても感動されていました。

なぜなら、私は身に付けたことが間違いとわかっても、
その癖はそう簡単には取れなかったからです。
それを「忘れてしまいました」の一言でできてしまう
のですから、と言っているんです。

確かにそうですよね。
私たちだって身についちゃったものを全部 その癖を取って
やり直していくっていう テニスでもなんでもね 
すごい大変なことですよね。 そういうことですね。

植芝はそれまで、三十種類ほどの流儀をやっていて、
柳生流の体術をはじめ、真揚流、大東流、新陰流など
色々やったのですが、合氣はそれらを総合したもの
ではない……合氣はすべて氣によるものだからなのです。
そういうことが、「合氣神髄」に記されていました。
それは、大野さんが感動するはずだと思いました。

その上、
「先祖からの技をやらんならんことになりました」
この「先祖からの技」というのが日本の合氣道であり、
カタカムナ文化で開花したカムナガラの神髄でしょう。
と、大野さんは仰っています。



2.病気をなくすことが合氣の道

合氣神髄 p32に次のように書かれていますので読みます。

「合氣はすべて氣によるものであります。すなわち
精神は風波のごときものなのであります。精神に
病気を起こさず、精神が遊びにいっておるのを統一
するのが合氣であります。この世界から病気をなくす
のが合氣の道であります。世の中はすべて自我と私欲
の念を去れば自由になるのであります」



「精神は風波のごときもの」ということですから、
強ければ、人を巻き込んで被害も生まれます。
穏やかであれば、人を心地良くします。
精神は風波と全く同じような力があります。
精神を統一させるのです。玉垣(想念の在り方)が
人を守ります。

まずはアワ(潜象)の働きを盛んにして
自身を健康にして、病気をなくすのが合氣の道なの
です。

また「自我と私欲の念を去れば自由になるのであります」
これ、すごい言葉ですね。 だけど、具体的にはどうしたら
良いでしょうか。
ここはもう日本文化に習うしかないのです。


どうしたら良いか、いきますよ!

武産合氣は氣の力しか使いません。
氣をどうやって使うかというと、精神のあり方や姿勢です。
まずは筋力を使わないこと。
動きに筋力が混じるほど氣は薄くなるからです。



氣とは遠達性の力です。遠くに達する力です。
そんな力がこの世界にあることを知ってください。
筋力を押さえるためには、動きはゆっくりと小さくて
良いのです。体にアメノウヅメができれば、体を
動かさなくても氣は動かせます。


アメノウヅメは優しい氣です。
優しい氣には効果があります。この氣は受けると
わかりますが、とろけてその場に崩れてしまうほど
気持ちが良いものです。
女性のほうが上手にできます。これを発生させるには、
笑い出したいような楽しい気持ちが大切なのです。


あるとき「この子は先生のファンなんです」と母親が
小学3年生の女子を道場につれてきました。
なるほど、感性が良い子で、私が見せた神業もすぐに
真似してできてしまいます。

これを見ると、全身が柔らかく、頭も柔らかければ合氣
はすぐにできるものだと改めて思いました。
すぐに考えたり、やり方を覚えようと真面目な気持ちに
なると難しくなるのです。

氣の発生は、マノスベの姿勢が基本ですが、最近わか
ったことがあります。それは足裏に関することです。

この画像を御覧ください。


踵で立つことが基本ですが、両腿を内側に回旋させる
(内側に捻る)ようにすると、足裏の内側(親指側)
のラインに重心が移り、自然と後ろ重心になります。
後ろ重心の良さは、アワ量が増えることです。

日本の文化の素晴らしさを知って、氣が溢れる体を
皆が作れれば、植芝のいう
「この世界から病氣を無くすのが合氣の道であります」
ということも実現するでしょう。元氣と病氣には氣と
いう字が使われるように、氣が大きく関わっているから
です。




3.天命に従って生きる

先ほど、合氣神髄からの抜粋で
「常識の涵養」とありましたが、
常識っていったい何? と考えたとき、
今の日本は外国文化からの常識ばかりになっています。
その常識は、自我と私欲から作り出されたものが多く
「何かおかしい」のです。

世間体とか社会的エゴは、元を辿れば外国文化の常識
ばかり。人を縛って、がんじがらめにして、心と体の
自由を奪います。 「何かおかしい」 「価値観が違う」
と思うのです。
それに氣がつくと、日本人本来の常識とは全く違う
ことに気づかれると思います。

私たちが生まれてから今まで自分を縛っていた常識
の中の一つに「お金」があります。

縄文時代はお金は無いけど、何万年も平和だったんです。
それが、今は何でもお金で、結婚式、出産、節目節目
の行事、教育費、死んでもお葬式やお墓やその後も
いろいろかかります。他にも多くの、おかしな常識に
縛られています。

今までの自分を縛っていた常識を捨て去ることになれば
縄文時代の日本人の生き方もわかり、体の自由さ、心の
自由さが得られます。

「先祖からの技をやらんならん」なのです。
そして、直感力を鍛えましょう。学校時代やってきた
詰めこみ主義によって、色々な知識はあるかも知れま
せんが、それらはあまり価値がありません。

人はみーんな、それぞれに違って良いのです。
各自に与えられた天命に従って生きることが大切で、
そのために神は、それぞれ違った能力や性質を与えて
くれているのです。
そして、そのためにご縁や体験もさせてくれます。

そのときに、常識が正しいという思い込みで選択肢を
間違うと、チャンスを逸してしまうかも知れません。
もしかしたら、その道の途中で終わってしまうかも知
れません。



まずは「何かおかしい」と感じたとき、その直感力に
耳を傾けます。そして、自分自身を好きになることです。
自分を嫌っている間は神は応援のしようがないのです。
植芝の「合氣神髄」は神からの奥義です。
自我と私欲の念をなくして、その奥義を実践することで、
神は喜んで応援してくれるでしょう。

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今回の項目はここまでになります。
で、ちょっと私の思いをお話しさせてください。

私たちは体験を通して学ぶことがあります。
それは「自分を信頼する」こと。

人に何か言われて腹が立ったり、泣きたくなったりするのは
相手本位と言えます。(他人軸)

「自分に対する信頼というのは、神とのむすびを信頼する」
ことなのだと思っています。
だって私たちの中には神がいるって 私は思っていますから。
人はみんな創造主の分け御霊で神の分身なんだって
分かれば、ありのままを受け止めることができると思います。

なぜ、めげたり落ち込んでしまうのかというと
過去の思いを繰り返し考えているうちに、思いの念が
心身を蝕んでしまうからなんです。 だから、嫌なことや
悔やむことがあっても、体に良くない思いは
留めずに もう捨ててしまう、忘れることが必要です。

繰り返し考えてしまうのは、習い覚えた癖なのです。
幼児のころにはそんな癖もなかったので、
すぐに気持ちを切り替えられたのです。

世間の目や風習などに縛られることを手放していく
そういう柔らかさが、とても大切になるかなあって
思っています。

そして 「おかげさま」 という言葉は
外に神があるのではなく、内なる神に感謝する言葉です。

「自分の中の神様にありがとうございます」なんですね。

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今日はここまでです

関連サイトや書籍につきましては、説明欄に
貼り付けますので、よろしければ参考に
されてください。



最後までご視聴ありがとうございます
モロカゲサチ~(^^♪


ではまた