★【カタカムナ 生命の神業50 日本の古来文明③】★

 

★このブログは2023.5.18にyoutube配信した内容をそのまま まとめたものです★

こんにちは! ゆかりです
今回は【カタカムナ 生命の神業50 日本の古来文明③】です

大野朝行さんの書籍等を参考にお話しさせていただきます。



項目
1.日本語のルーツ
2.カタカムナの教えには罪と罰がない
3.外国では正邪の天秤にかけて判定する
4.日本の文化に憧れた遣日使
5.一切成就の祝詞




1.日本語のルーツ

上古代、カタカムナ人の指導者であった
アシアトウアンが、天然(潜象)自然(現象)の
発するヒビキから、万象万物が生滅を繰り返す
ことを直感しました。

それを伝えるために、アシアトウアンが作ったのが
四十八(よそや)コト=48音の言葉。
これが日本語のルーツなのです。

六甲山系の金鳥山、狐塚の芦屋道満が、
カタカムナの最後の頭領であったと言います
(相似象11号36頁)
頭領の名前は代々受け継がれたようです。




2.カタカムナの教えには罪と罰がない


古来の日本人の精神力や体力を強くしたのは、
神とつながっていたからです。
そこには「心の自由さ」がありました。

そもそも、カタカムナの教えには罪と罰という
考え方がありません。

戒律もなければ、原罪もないのです。
原罪は、人は生まれながらに罪を背負っている
という考え方ですが、それがないのです。

これらは、渡来人が持ってきた文化なのです。

日本には、倫理、戒律、法律などの決まりによって
人をコントロールするという考え方が
何万年もの長い間なかったのです。
これは誇るべき日本文化の素晴らしさなのです。


それを文化が遅れていると見なす国もあるでしょう。
しかし、そうではなく、
文化そのものが根本的に違うのです。



「カムカヘル」という言葉があります。
これは、カム(根源)に帰って考える直感力のこと。
この「カムカヘル」が日本人にはあったので、
そのような決まりは必要なかったのです。



昔の日本は特に決まりはなく何万年も平和な時代
が続いていたのです。
日本人はそれだけ精神性が高いと言えるのでは
ないでしょうか。





3.外国では正邪の天秤にかけて判定する

古代エジプトでは
「アヌビス」の神が死者の心臓を正邪の天秤にかけて、
生前の行いに判定をくだします。


古代ギリシャでも
テミスの女神が掟に忠実であったかどうかを天秤
にかけて宣託(神のお告げ)を下します。


中国でも
閻魔大王が善人か悪人かの判定をくだして
相応の世界へと送ります。




これに対して、カタカムナ ウタには死者の霊や善悪、
罪罰、懺悔のような意味を持つ言葉がありません。

そういう意味を持つ言葉がないんです。

あるのは、根源的、天然(潜象)自然(現象)的
なイノチとココロのサトリなのです。


日本は、素晴らしいって思っちゃうんです!!




4.日本の文化に憧れた遣日使


唐の高僧、鑑真は54歳で日本を目指す決意を
しました。
船出から暴風雨に見舞われ、5度の難破を重ねて、
失明までしましたが、その決意は堅く、
ついに6度目の753年に来日を果たしました。

そして鑑真は日本人に初めて戒律を授けました。
日本文化の素晴らしさは戒律のように人の心を
苛む考え方がなかったのですが、
なぜ彼らはそんなものを日本に持ってきたのでしょう。

命懸けの渡航をしてまで日本に憧れたのは鑑真だけ
ではありません。天智天皇(668~671年)のころには、
2000人以上の一団が来日しています。

田中英道(東北大学名誉教授)によると
「日本文化に憧れた遣日使は頻繁にやってきました。
その数は、遣唐使、遣隋使の比ではありません。
遣日使の方がはるかに多かった」
とのことなのです。

高知県足摺岬に旅行したとき唐人駄場遺跡が
ありました。
唐人が大勢集まった場所と聞き地名の由来にも
納得しました。



こういうことって一切教科書に載ってない
ですよね。
日本人に誇りを取り戻させないための
手段なのですよね、きっとね。




5.一切成就の祝詞

【カタカムナ 生命の神業48 筋肉細胞】で
イマタチをやりました。

人生はイマタチ(今の質)です。
人生はイマイマ(この瞬間瞬間)です。

私たちのカミ(潜象)はこのイマイマに、
生命(細胞)を再生しているから
これをイマタチ(今の質)と言いました。
なので、過去にこだわる必要はないのです。

過去は記憶、未来は想像でしかない。
過去も未来も現象としては存在しないのです。



人はイマタチですから、穢れていませんが、
過去を思って心を停滞させるから穢れるのです。
単純明快な答えでしょう。

「一切成就の祓」という祝詞があります。
「極めて汚きも滞なければ穢とはあらじ、内外の
玉垣清く淨と申す」
(玉垣を想念にたとえています)

つらい思い出とか汚い想念(心に浮かぶ考え)を
言葉にしたり行ったとしても、その思いの
滞りがなければ、玉垣「想念」は清浄です。

水でたとえるなら、溜まった水は腐ります。
しかし、地下水として流れる井戸水は清水です。


玉垣は瑞垣ともいいますが、神社の周囲の山や森、
参道等の巡らした垣根のことです。
玉垣を想念にたとえていますが、
想念のあり方が人を守るからです。


負けてはならない、そんな頑張り方を続けていれば
病気になるかもしれません。


頑張る思いはサヌキですから、それを和らげる
アワ(潜象)が給与されれば病気にはなりません。
アワ性(和と統一、万有愛護の想念のあり方)が
アワ(潜象粒子)を増やしてくれるのです。


想念大事なんですよね。
想念をきれいにしておけば、いいんですよね。

ご自身の日常にお役立ていただけましたら、
幸いです。



関連サイトや書籍につきましては、説明欄に
貼り付けてますので、よろしければ参考に
されてください。





日本古来の文明また続きを撮っていきますので、
よろしくお願いします。


今日はここまでです
最後までご視聴ありがとうございます
モロカゲサチ~(^^♪


ではまた