ハンドリング・アーミー
名古屋、東京へのささやかな旅を終えてからというものの僕はビルを描くことに取り付かれている。
各都市には実に様々なビルがあって、それらにも住民のセンスや地方自治が如実に現われていて、いくら見ても見飽きることはないような気がする。
そして、よく考えれば当たり前だが、ひとつとして同じ形のビルは存在しないのだ。似ているように見えても、絶対に同じではない。形式が似ているだけだ。
だから、僕の描くビルもビルという形式を借りた別の何かなのだろう。
ビルを描くたびにそういった考えがぼんやりと浮かび、目の前のカタチになったビルのようなものの裏に潜む何かが、製作衝動を駆り立てる。
僕がこの春見たビルのなかでのイチ推しは、名古屋にある大名古屋ビルヂング。なんとも言えぬ昭和日本臭。
各都市には実に様々なビルがあって、それらにも住民のセンスや地方自治が如実に現われていて、いくら見ても見飽きることはないような気がする。
そして、よく考えれば当たり前だが、ひとつとして同じ形のビルは存在しないのだ。似ているように見えても、絶対に同じではない。形式が似ているだけだ。
だから、僕の描くビルもビルという形式を借りた別の何かなのだろう。
ビルを描くたびにそういった考えがぼんやりと浮かび、目の前のカタチになったビルのようなものの裏に潜む何かが、製作衝動を駆り立てる。
僕がこの春見たビルのなかでのイチ推しは、名古屋にある大名古屋ビルヂング。なんとも言えぬ昭和日本臭。
