その格調高い文章が、小学生には難しかったのですが、ストーリーや雰囲気にすっかりひきこまれて、何度も何度も読み返しました。
ウン十年も経った今ごろ、原文も読んでみたいと、手頃なTUTTLE版を衝動買い。
チラチラ原文を見ながら、改めて翻訳と原文を参照しようと思い、小学生以来の偕成社版をひっぱり出すと、本の箱には、川端康成とか、当時の一流どころ文学者、小説家の名前がシリーズ監修としてあがっています。
だいたい監修者なんてのは、どの本をシリーズに入れようか、誰に編集させようかとか決めるだけ。
この巻は山室静編、となっていたので、てっきり山室静版ラフカディオ・ハーン訳だと思ってました。
ところが、序文を改めて読むと、なんと文末には山室訳ではなく、平井呈一訳と書いてあるではありませんか。
あれほど好きだった文章の作者(訳者)を、ウン十年も知らないままだったことがショック!
しかも平井呈一なんて、見たことも聞いたこともない(失礼!単に無知なだけです( ̄◇ ̄;))作家、翻訳家。
そこで改めて平井呈一訳の小泉八雲を探すと、恒文社版で小泉八雲全集が出ていることが分かりました。
それもすでに絶版なので、怪談だけ古書で購入。
この恒文社版の翻訳は、偕成社版とほとんど同じでした(同じ訳者だから当たり前、と思うなかれ。詳細に比較すると、結構異同があるのですよ)。
同時に、この平井呈一とはナニモノぞと、俄然興味が湧き、ググりまくると、あの永井荷風の才覚ある弟子でありながら、ある事件で汚名を負い、文壇から追放状態になっていたことが分かりました。
その伝記もほとんど不明であったものの、平井呈一の弟子でもあった紀田順一郎監修、荒俣宏編による「平井呈一 生涯とその作品」という、詳細な年表等が昨年、出版されていることを知り、これも衝動買い。
まだ読んでないけど、その才能と、永井荷風に嫌われた顛末など、人生の不思議についつい思いを馳せてしまいます。
それでも、嚢中の錐と言いましょうか、才あるものは必ず世に出ます。
生前は不当に迫害され、一部の人にしか知られていなかった人でも、何らかの契機でこうして知られていく。
論語の冒頭に、人知らずしていきどおらず、また君子ならずや、という文章があります。
学生の頃は、アタマでしか理解していませんでしたが、このトシになると良く分かります。
中島敦の「山月記」は、そうした自信過剰なインテリの末路を描いた傑作ですが、この作品の真髄も中年に至って初めて実感できました。
自分の才能を、世間が全く認知しなくてもそれで憤ったりしない、これこそ紳士というものではないか。
謙虚でありながら卑下しない。
むずかしいことですね。
平井呈一さん。どこから、その名文が生まれるのか。
伝記を読んでみます。
(^_^)☆