端午の節句も近いので、鍾馗の掛け軸を出しました。
前から思っていたのですが、顔の造作や髭は鍾馗の定型から外れているし、素人くさい。
それなのに、衣紋線や裾のかすれた筆致は妙に上手く、プロっぽい。
並々ならぬ画家の力量を感じます。
でも画中には落款も印章もなく、作者不明。
ところが箱の題簽に、
光永民雷の文字。
(元永とも読めますが、ヒットなし。)
聞いたことの無い画家。
ネットでそのまま検索しても、該当なし。
そこで第一書房の大日本書画名家大鑑を引くと、ありました。
熊本の洋画家で、イタリア人画家ビゲローやキヨソネに学んだとか。
何と幕末明治の洋画家とは。
しかも、かつて大西郷の肖像を画く、とある!
な、な何と、西郷隆盛の肖像画とな!
で、光永民雷と西郷でググると、公文豪という研究者の「板垣退助と西郷隆盛肖像画」という論文がヒット。それがとても面白かった。
西郷隆盛の肖像といえば、キヨソネが描いた絵が有名。
こんなの。写真ぽく見えるけど、絵だったんですね。
その筋では有名ですが、このキヨソネの絵は、上半分は弟の西郷従道、下半分は従弟の大山巌のモンタージュらしく、似てはいても本人とは違う、と密かに言われていました。
それが公文氏の調査、考証によれば、光永民雷は生前の西郷を良く知っている板垣退助と相談して、肖像画を作成。
その筋では有名ですが、このキヨソネの絵は、上半分は弟の西郷従道、下半分は従弟の大山巌のモンタージュらしく、似てはいても本人とは違う、と密かに言われていました。
それが公文氏の調査、考証によれば、光永民雷は生前の西郷を良く知っている板垣退助と相談して、肖像画を作成。
その後西郷の遺族にも見せて調整し、一番良く似ていると、遺族に認定されたらしい。
その民雷の肖像画がこれ。
(上記2点の写真とも、公文論文より)
確かに、板垣退助の、西郷隆盛は一重まぶたで眉が細い、という記憶にも合致する。
キヨソネの絵とは、かなり違いますね。
家に転がっている、どうせ素人の手すさびだろう、と思っていた鍾馗さんの絵が、有名ではないながら、こんな歴史的役割を果たした画家の手になる(可能性がある)とは、思いもしませんでした。
洋画家だから、鍾馗の定型をあまりご存じない。でも腕はある。
それが、この絵の違和感の理由だったのですね。
灯台下暗し。
調べてみるもんです。
(^_^)☆