■涅槃に人を送り込むこと■~罪の反対語は信仰~ | ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬

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”なんの浮世は三文五里よ。ぶんとへのなるほどやってみよ。”
乙女姉やの失意の手紙への返信に記した、龍馬のポジティブ思考が表れている言葉
”くよくよせずに前向きに行こう”と勇気づけられる。
同様にドラッカーの言葉も、時代を超えて様々な示唆に溢れています。

おはようございます。

概ね晴れ、厳しい冷え込みではないですね。
日中は風が強く寒い一日になりそうです。

今日も一日よろしくお願いします。
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ドラッカーは、
こうして、人間の手による倫理的に
絶対的なものを構築する立場というものは、
その可能性が完全に否定されたところで
終わりを迎えなければならない、
とする。


それでは、人間としての存在とは
悲劇や絶望の中での存在ではない、
ということになるとしたら、
ニルヴァーナ(涅槃)に人を
送り込むことの中に、
無を見ていることになる。


キルケゴールによると、
人間としての存在は、
絶望に陥っていない存在、
悲劇とは縁のない存在として
成り立つこととなる。


つまり、人間としての存在は、
信仰に身を置く存在として可能になり、
罪の反対語は徳ではなく、
信仰ということになる。



「信仰とは、神の手にかかれば、

 不可能が可能になると信じることです。

 また信仰は、神の中では時間と永遠はひとつであり、

 そして生と死の両方に意味がある、

 と信じることでもあります。」

~P.F.ドラッカー
「ドラッカーの講義(1943-1989) ~マネジメント・経済・未来について話そう~」
(1940年代)