■知識が資源の中核になった■~社会の構造を根本から変える。~ | ∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬

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”なんの浮世は三文五里よ。ぶんとへのなるほどやってみよ。”
乙女姉やの失意の手紙への返信に記した、龍馬のポジティブ思考が表れている言葉
”くよくよせずに前向きに行こう”と勇気づけられる。
同様にドラッカーの言葉も、時代を超えて様々な示唆に溢れています。

おはようございます。
梅雨の明けた関東地方、暑い日が続きます。

熱中症に気を付けましょう。

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マネジメントが、一つの仕事として理解され始めたのは、
第一次大戦後であり、
体系としてのマネジメントが現われたのは、
さらに第二次大戦後のことである。

第二次大戦前後、経営管理者とは、
「部下の仕事に責任をもつ者」と定義され、
それは、ボスであり、地位と権力を意味した。
多くの人は今でもこのイメージを
持っていると思われる。

しかし1950年代の初めに、
「他の人間の働きに責任をもつ者」と定義された。
これさえ、狭義である。

正しくは、
「知識の適用と、知識の働きに責任をもつ者」である。

この定義の変化は、知識が中心的な資源と
見られるようになったことを意味する。

土地、労働、資本がなければ、
知識は、何も生み出せない。
マネジメントもできない。
しかし、制約条件でしかない。
それらの資源はいつでも
手に入れられるようになっている。




「知識が単なるいくつかの資源のうちの一つではなく、

 資源の中核になったという事実によって、

 われわれの社会はポスト資本主義社会となる。

 この事実は、社会の構造を根本から変える。

 新しい社会の力学を生みだし、

 新しい経済の力学を生む。

 そして新しい政治を生む。」

~『プロフェッショナルの条件』
(1章 ポスト資本主義社会への転換)