おはようございます。
梅雨の明けた関東地方、暑い日が続きます。
熱中症に気を付けましょう。
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∬ちょこっと、ピーター.ドラッカー∬
マネジメントが、一つの仕事として理解され始めたのは、
第一次大戦後であり、
体系としてのマネジメントが現われたのは、
さらに第二次大戦後のことである。
第二次大戦前後、経営管理者とは、
「部下の仕事に責任をもつ者」と定義され、
それは、ボスであり、地位と権力を意味した。
多くの人は今でもこのイメージを
持っていると思われる。
しかし1950年代の初めに、
「他の人間の働きに責任をもつ者」と定義された。
これさえ、狭義である。
正しくは、
「知識の適用と、知識の働きに責任をもつ者」である。
この定義の変化は、知識が中心的な資源と
見られるようになったことを意味する。
土地、労働、資本がなければ、
知識は、何も生み出せない。
マネジメントもできない。
しかし、制約条件でしかない。
それらの資源はいつでも
手に入れられるようになっている。
「知識が単なるいくつかの資源のうちの一つではなく、
資源の中核になったという事実によって、
われわれの社会はポスト資本主義社会となる。
この事実は、社会の構造を根本から変える。
新しい社会の力学を生みだし、
新しい経済の力学を生む。
そして新しい政治を生む。」
~『プロフェッショナルの条件』
(1章 ポスト資本主義社会への転換)